「建築構造物の耐震性確保のための提言」
「耐震設計偽造に関する研究集会」11月21日(月曜日)の議論をふまえて

2005年11月29日(11月24日に提言案を発表)
NPO法人建築技術支援協会
 文責:和田 章、安部重孝、米田雅子

1. はじめに
2. 特殊な事件
3. 建築士制度、建築確認制度の改新
4. 構造設計者のプロフェッションの確立
5. ピアーチェックの導入
6. 保険制度の充実
7. 構造計算偽造の有無の調査
8. 建築物の耐震性に関する情報公開
9. 既存不適格建築物の耐震安全性
10. コンピュータ時代が生んだ問題


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1.〜10. 全文

はじめに
 多くの科学技術が進歩し、これらに支えられて現代社会は動いている。言うまでもなくほとんどの技術者は誇りを持って、より良いものを作ろうと日々努力していて、市民はそれぞれの技術者や関係する会社や機関の行っていることを信頼して、日々を過ごしている。しかし、近年に起きた自動車産業のリコール隠し、無理な列車走行による大事故など、各方面に色々な綻びがでていることも否めない。
 建築は人々が一日のほとんどの時間を暮らす場であり、その構造の安全を守るのは基本的に重要である。我が国のような地震国では、この中でも耐震性の確保は重要であり、地震の発生原因の解明から建築構造物の設計・施工の技術開発まで幅の広い努力が長年にわたり行われている。一般の工業製品の場合、その性能は購入後すぐに発揮されるが、建築構造物の耐震性は普段には表に顕れず、大地震が起こるまで分からない。いつ起こるかもしれない大地震に備えて、建築の構造設計・施工に携わる技術者は真剣に取組んでいる。
 このたびの耐震計算偽造は、これらの耐震技術を積み上げてきた人々、より安全な建築や都市を作ろうと設計・施工に日々努力していている人々、これに関係する行政の人々、そして地震に対して安全なまちに住みたいと願っている市民、これらすべての人々への裏切り行為である。どのような事件にも、それが起きた背景があり、起きないための仕組に潜む問題、仕組そのものの緩みがあるといえる。これらを総合的に考察し解決する必要がある。
 11月18日(金曜日)にこの事件は報道されたが、建築技術、耐震設計に関わる多くの専門家は、これを「起きた事件」であると同時に「止められなかった問題」であると重くとらえ、急遽、NPO法人建築技術支援協会の呼びかけと、社団法人日本建築学会、社団法人日本建築構造技術者協会などの支援を得て、「耐震設計偽造に関する研究集会」を11月21日(月曜日)、東京・竹橋のKKRホテル東京にて開いた。90名の建築構造設計者およびNHK、TBS、朝日新聞社などの報道関係者が集まったが、ここで議論された内容をもとに次の提言を発表する。

「特殊な事件」
構造設計の安全性を確認する計算において、故意に数値を入れ替えた複数の計算をおこない、整合性を無視して、これらのプリントアウトを組合せることにより書類を偽造する行為は非常に特殊かつ悪質な事件であり、他にはあり得ないと考えられる。

「建築士制度、建築確認制度の改新」
建築基準法の施行は1950年であり、戦後の復興期である。建築士法も同時期に施行されている。その後の半世紀の科学技術の進歩及び専門の分化を考慮すると、審査側にも最新技術を理解できる能力が必要となり、現行の方法では確実な審査は期待出来ない。公的機関、民間機関によらず難しくなっていると考えなくてはならない。建築士制度、建築確認制度を時代に合わせて変える時期がきたといえる。

「構造設計者のプロフェッションの確立」
建築家を通してなど、発注者から構造設計者への建築構造コストの低減の強い依頼がきていることは事実であり、設計・施工の先端にいる技術者には、「必要なものは必要と主張する構造設計者」としての誇りと高い責任感が必要である。約27万人の一級建築士のうちの約1万人が建築構造の仕事をしていると言われるが、その他の26万人には必ずしも建築構造の最新技術に詳しくない人が多い。ただ、制度の上ではすべての一級建築士が構造設計を行うことが出来る。日本建築構造技術者協会は、以前から構造士制度を設けているが、法体系との関係がないために、一般の一級建築士との違いが明らかでない。構造設計、構造技術の仕事の重要性を社会に主張し誇り高い仕事としてのプロフェッションを確立する必要がある。

「ピアーチェックの導入」
建築物の構造安全性は財産だけでなく住んでいる人々の人命にも関わるから、構造設計の図面、計算書、設計の考え方などについて、複数の専門家、複数の目で見ることは是非とも必要である。これに、ピアーチェック”Peer Check”制度の導入が必要である。これは、欧米で古くから使われている審査法であり、設計者Aの申請書を設計者Bが審査するというように、審査を実務設計者に依頼する方法である。審査機関は申請書を割振る役目を担うことになる。学会の論文審査などに我国でも古くから使われている確実な方法であり、専門家同士で確認することで、「ピアーチェック」または「ピアーレビュー」と呼ばれている。Peerには「(社会的に)同等の地位の人;同僚、(法律上の)対等者;(能力・資格・年齢などが)同等の[匹敵する]人」の意味がある。

「保険制度の充実」
建築設計に関する保険と同様に、構造設計を責任を持って行い、確認業務を責任を持って行うためには、これらに関わる保険の充実が必要である。

「構造計算偽造の有無の調査」
この度の事件とは直接関係なく、既に建設されている一般の建築物について、その設計を示した構造計算書、構造図などについて、書類上の偽造の有無を調べることは専門家に依頼すれば難しいことではない。

「建築物の耐震性に関する情報公開」
我国に限らず、地震工学は過去の地震被害の経験を教訓に発達してきたといえる。建築物の寿命は一般には60年とされているが、これより長く使われているもの、早く壊されているものがある。いずれにせよ、古い建築物には現行の耐震設計基準を満たさないものがある。これを既存不適格建築物という。現在の耐震基準は1981年に改正された基準をもとに1998年に大きく改正されているが、ここで決められている基準は最低基準である。具体的に述べると、数百年に1度建設地を襲うような大地震には、人命確保のために倒壊は防ぐが、大きな損傷を認めており、地震後には取壊さなくてはならなくなることもあり得る。このような耐震基準の現状を分かりやすく市民に公開することも重要である。この他、制振構造や免震構造などの新しい技術を用いることにより、より安全性の高い建築物を作る技術がほぼ同じ建設費で実用になっていることも知らせるべきである。「あなたが知りたいマンションの耐震性」NPO法人建築技術支援協会発行(2005年11月18日)が参考になる。

「既存不適格建築物の耐震安全性」
今回の事件に関係した建物は国の法律で決められた耐震強度に比べ、0.3倍から0.7倍程度の強度しか有しておらず、危険性が高いことが問題になっている。この度の事件に直接関係はないが、1981年以前に建てられた壁の少ないマンション、ホテル、事務所ビルでも同様に弱いものがあり、既存不適格建物と呼ばれている。これらの建築物の耐震診断・耐震改修は緊急課題である。

「コンピュータ時代が生んだ問題」
一貫構造計算プログラムの評定は1970年頃に始まり、プログラムそのものの信頼性確保には役立ったといえるが、国が「プログラム部分の図書省略」という形でプログラムの内容を保証したことになり、確認機関では計算部分を詳細に調べないようになってしまった。数字の羅列の出力は無機的で構造設計者の想いは伝わり難い。例えば、構造計算書の要点の部分に手書きのスケッチや計算を書込み、コンピュータの出力と同様の結果が得られることを示す、建築物の全コンクリート体積を床面積で除して求めた平均コンクリート厚さ、全鉄筋重量をコンクリート体積で除した値などを手書きで書込むようにするなど、全体的な数値の把握をすることが必要である。
大きな建築物を建設するためには長い期間と多くの人の手がかかる。この度の事件の問題は、構造設計者の行った偽造がこれらの後工程の人々によって発見されなかったことにもある。コンピュータ時代には、実際にものに触らずに仕事が進むことが多くなり、実感が無いままに大きな建築物が建設されてしまう恐ろしさがある。すぐに解決する方法はないが、仕事の流れの中に人間が直接入るような仕組が必要であろう。

このことは、発注者,設計者、確認審査、施工者、施工監理、中間検査など全体の大きな流れまで考慮すると、なおさら誰も気付かなかったことが大きな問題となる。この度は構造設計者の悪質行為が問題になっているが、発注責任、設計責任、施工の責任など問題点を整理する必要がある。