海外のPCa工場雑感・・・清家 剛

はじめに
 ここ数年、何度か海外のPCa工場を訪問する機会があった。日本に比べると海外のPCaは精度が低いとか、工場の製造環境が良好でないといったことが、よく言われている。しかし、今の日本では忘れがちな合理的な部分や優れた部分も、私は感じることができた。そこで、アメリカとシンガポールのPCa工場で感じたことを、紹介したい。
アメリカのPCa工場
 アメリカでは、ここ数年で複数のPCa工場を見学したが、そのうちの2つを紹介したい。
 まず、1998年3月に訪問したDukane Precast社は、シカゴ郊外の車で1時間ほどの所にある工場だった。見学したときはシカゴで何年かぶりという大雪が降った翌々日で、実に100km以上高速道路を走ったが、その長い長い道路の除雪が、全て、完璧に終わっていた。車社会のアメリカにあっては、高速道路の除雪というのはとても大切なことで、過去に除雪作業に時間のかかったシカゴ市長がクビになったことがあるそうだ。
 工業団地内にあるこの工場は、主として2〜3階建て壁式PCaによる規格型の建物を製作している工場である。営業範囲は300マイル、500kmであり、競合他社は4社ほどあるが、半年先までの注文は確保しているといっていた。従業員は120人程度、給料は週5日、40時間勤務で年間2,000〜2,500ドルだという。アメリカドルを日本円に換算すると、この給料は安いと思われがちだが、日米の物価などを考慮すると、私の個人的な感覚としては1ドル200円くらいが、日本人が理解するのに適当な数字ではないかと思っており、まあまあの給料ではないかと感じた。
 冒頭で述べたような日本の工場と差はなく、実にきれいな製造環境であった。ただし、見学をした日の気温は氷点下、工場建物内はまだよいが、屋外を歩くには、寒くてかなりつらかった。
 工場技術者との質疑では、500kmの営業範囲で成り立つのかとの質問に対して、「500kmを超えて仕事をする必要がなぜあるのか」との返事、また、競合する4社との競争でコストをたたかれないのかと尋ねたところ、「値段が合わないのなら他のプロジェクトを探します。」とのこと。さらに「なぜ、儲からないほどコストを下げる必要があるのか」という、もっともな回答をいただいた。
 1999年3月には、スパンクリートオブカリフォルニア社の工場を訪ねた。ロサンゼルスのダウンタウンから車で1時間以上移動したところに、ぽつりとある工場であった。この工場は1986年に設立され、約600kmを半径として営業活動をしている。競合するところは多数あるとのことだった。生産品目は主として穴あきPCa版スパンクリートと、それに伴う構造部材が主ということであった。従業員は50名ほどで、エンジニア3名、設計15名、残りは管理業務ということだったが、機械整備の専門職が6名も常駐していたのは驚きであった。
 工場内にはスパンクリートの製造ラインが2ラインあり、片方を打設して養生中にもう片方のラインで切断、脱型、型枠設置を行うという単純明快なシステムであった。またWTスラブも製造しており、こちらは10mを超える長さのものを打設していた。
 設計室を見学したところ、我々はいろいろ設計ができるといった話をしながら、「出来ないものはできないとはっきりいうことが大切」ということを強調していた。さすが契約社会アメリカと感心して、そうすると設計変更はあまりないのですかと聞いたとたん、「All The Time!」(いつでもさ!)と、悲しそうに声をあげた。設計者がなかなか決めてくれなくて困るという愚痴は、日本と同じだったことにほっとし、日米の技術者の心がつながった気がした。
シンガポールのPCa工場
 シンガポールでは、日本の大林組が施工した全天候型自動化施工・ビックキャノピーを採用するに当たって、現地でPCa部材の製造を担当したEASTERN PERTECKの工場を見学した。ここは1953年フィンランドに設立されたPERTECK社の子会社としてシンガポールに1983年設立された工場で、基本的には中空のホローコアスラブを造り、その周辺の躯体も設計し、適宜PCa化するという仕事を行う。ホローコアスラブを学校や工場に提供するだけでなく、柱梁のPCaによる躯体を設計し部材を提供するのが、建築の主要な実績である。
 PCa工場にはラインは3つあり、それぞれホローコアスラブ、土木製品、そして建築製品が作られていた。技術スタッフはフィンランド人と、地元シンガポール人の混成チームである。
 フィンランドはPCa技術利用が最も盛んな国の一つで、PCa部品を用いた設計が専門学校での教育に盛り込まれており、PCaを前提に設計者が自由に設計できる。そうした国の技術者であるスタッフは、どのような条件でもPCaで設計できるようだ。このプロジェクトでは、例えば、日本で採用しているハーフPCaを合わせたダブルウォールを設計し、かなり難しいと思われる柱部材の鉄筋についても、設計上難なく納めている。シンガポールの構造をよく理解した上で、プロジェクトの要求条件を全て満たした部材設計を行えたのは、PCaの国から来た技術者だったからであろう。
 しかし、このような工場から出荷される製品の精度はどうかというと、これが、あまり良くないのである。フィンランド人スタッフによる図面まではすばらしいが、PCa部材の製品精度が低い。実際工場のライン上には図面が少なく、日本のPCa工場を見慣れた私にとっては、きちんとした管理が行われていない現状に驚いた。
 製造ラインで働いているのは、シンガポールというお国柄、外国人労働者である。タイ人とインドネシア人が主で、工場内に250人の宿舎があり、そこで寝泊まりして働いている。彼らの仕事をシンガポール人のスタッフがライン上で管理している。
 製造品の精度の悪さは、こうした労働者の質によっているようだ。工場のワーカーが外国人であるがために、技術の継承性がない。つまり、PCa工場での仕事をそれなりに覚えても、ある一定期間で帰国して、次々と入れ替わってしまうのである。これは、シンガポールという国の製造業の抱える基本的な問題点である。
 フィンランド人のスタッフは、そのあたりは割り切っているようで、現状の体制で作ることができるベストを尽くしているという考え方のようであった。もし、日本的な製品の完成度に近づけるのなら、ある程度労働者や製造ラインのスタッフに対しても、教育することが必要であろう。
まとめ
 これらの見学から感じた雑感を最後に述べる。
 まず、アメリカでは営業範囲を明確に距離で示しているのにはっとさせられた。日本とアメリカの国土の違いといってしまえばそれまでかもしれないが、かなり重量のある製品の製造業としては、もう一度距離ということを、日本でも考えておく必要があるなと感じた。
 次に、シンガポールの工場では、日本のメーカーが海外に進出して、その国に対応したレベルで造るということができるのだろうか、ということを考えさせられた。この工場の例のように、その国なりの対応が大切ではないか、そうした能力がフィンランドのメーカーには備わっているという優れた点を、見逃してはならないと思った。
 全体としては、日本では、仕様に記述していない様々な日本的な暗黙の了解が存在しており、それが製品の差となっているなと、漠然と感じた。こうした暗黙の了解の仕様に対して、はたしてどこまで適正なコストが支払われているのかについても、考えさせられた。もちろん、日本の製品のレベルを下げる必要はないが、全てを仕上げに使うレベルで造る必要もないし、それを求められるのなら、仕様として明示し、コストに反映させるべきだと思った。
 どこに行っても、「君たちは儲からない仕事を受けるのですか?」と基本的な問いかけをされたような気がした。
シンガポールのPCa工場
アメリカのPCa工場