記憶に残る私の仕事 「 工業技術院 筑波研究センター」(1974年〜1979年)・・・(株)日本設計 大武通伯

1.プロジェクトの概要
工業技術院は、通産省(現・経済産業省)の研究機関として、関東を中心に9研究所を有していた。当時、国家機関の研究所を筑波地区に集約するナショナルプロジェクトが開始されていて、工業技術院にあっても研究内容も歴史も異なる9研究所を筑波に移転させることになった。将来の施策として研究テーマによる研究施設の共用、統廃合(現在実現されている)まで視野に入れたものである。
9研究所の設計対象は、建物数107棟、延床面積約30万km2に及ぶものであったが、これを設計期間18ヶ月で工事発注するというとんでもない仕事であった。
2.プロジェクトの先進性
この筑波研究センターの設計チームに参加し、新しい試みとして標準化とコラボレーション(協働)を実施した事が、現在までの自分の設計スタイルや設計組織運営にいろいろと生かされることになった。その1つに短期間に多くの設計者が参加し、高い目標の成果を上げるための工夫があった。設計者はタテチームの一員として1つの研究所設計チームに属し、同時にヨコチームとしていくつかの新技術開発や、標準化チームにも参加するシステムが工夫されていたが、これは設計組織での技術開発チーム編成に生かされることになった。その他に性能設計に対応したブリーフィング(設計与条件)や、設計図書作成基準、標準詳細図の導入、デザインコードの設定等も行われた。監理では、監理者不足を補う方策として請負者による自主管理システムが採用されたが、これは昨今のISO9000sを適用したプロジェクトで検討されている内容を先取りしたものである。
2つ目に設計テーマとして、躯体100年・内装と設備は可変というスケルトン・インフィルの考え方や、実験内容によって装置やエネルギー供給が自由に変えられる実験室や実験台の開発設計があった。工業技術院筑波研究センターは先進性に富んだプロジェクトとして私の思い出に残るものである。