梁降伏型の全体崩壊形を形成したRC造建物
3階部分が層崩壊したSRC造建物
大きく傾いたSRC造建物
同上建物の杭の破断
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- 1995年1月17日に発生した兵庫県南部地震,つまり阪神・淡路大震災は,私の価値観を大きく変える出来事でした。
会社が被災地のまっただ中にあったことで,地震発生直後から,倒壊家屋からの人々の救出,被災建物の2次災害の防止作業を開始し,被害状況の全体的な把握活動とともに瞬く間の1週間でした。続いて,建築学会の初動調査,行政からの依頼による損傷度判定などを行い,1月末頃から,少しずつ本格的な震災被害調査に手をつけることが出来るようになりました。
1日に数回続発する余震の中,出来るだけ多くの事例を記録に留めることを主目的に,詳細調査を行いました。期間は,1995年4月〜1998年6月に及んでいます。
新潟地震(1964年),十勝沖地震(1968年),1975年大分県中部地震,1978年宮城県沖地震などを教訓に耐震設計基準が改められ,地震への対応力が高まったものと理解されていました。しかし,兵庫県南部地震では,地震が直下地震であったこと,被災地域が人口集中地域であったことなどの理由から,それまでの考え方が通用しにくい場面が多く見られました。
後世に残すべき事実の記録と分析,技術的資料の集積のため,いくつかの建物について特に入念な調査を行いました。
その中で,新耐震設計法で設計され,梁降伏型の全体崩壊形を形成したRC造建物に関する調査報告は,国内外に思いも掛けない反響を呼び,その後の設計法の改善に寄与しました。
また,3階部分が層崩壊したSRC造建物や,海岸近くに建ち大きく傾いたSRC造建物の基礎杭の掘出し調査報告は,地震の主要動や地盤変位などの解明に役立ち,基礎構造の耐震性向上への方向性を指摘しました。
交通網が分断されていたため,全国各地から多くの技術者が調査のために関西空港から海路で三宮へ入りましたが,こうした方法では知り得ることのない震災の実態を体感しました。
被災者でもあったことで,他では学習できない貴重で希有な多くの事柄を自分の財産として捉えることが出来たことは,幸せだと思っています。
6,000人を超える,多くの犠牲になられた方々の無念に気持ちを寄せて。
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