「住宅資材物語 織 物 (3)」・・・・中村正實

 インド綿の原産地インドではインダス川下流の遺跡モヘンジョダロ(紀元前3000~2000)で木綿の切れ端と紡錘車が発見され、現存する最古のものといわれている。良質で細番手の糸を用いた高級綿布の生産は古来インドの独壇場で、インド産のキャリコやモスリンはローマ帝国以来ヨーロッパ全域からの需要が大きく、高値をほしいままにしてきた。これが中世の初めアラビア人によってエジプトに伝わり、北アフリカに広がって、やがてシチリア島とスペインに伝播し、十字軍の遠征によって各地に広がっていった。

 メキシコを起源とするリクチ綿は1704年にアメリカのバージニア州に伝えられ、工業国イギリスは植民地のアフリカから多数の奴隷を送り込んで栽培に当たらせ、織物産業を発展させた。フォスターのオールド・ブラック・ジョーはこの頃の奴隷の心情を歌ったものだろう。綿花から種子を分離する作業は大変時間のかかる作業だった。  独立戦争の頃、奴隷労働者は南部の農場で飽和状態になっていた。ところが、従来のインド・クルカの改良型コットン・ジンが1日25~40ポンドの生産性であったのに比べて、600~900ポンドも種子の分離できるホイットニー・ジンが発明されると、状況は一変した。イギリスでは1753年生まれのクロンプトンが、ハーグリーヴズのジェニーとアークライトの水力紡績機の長所を取り入れたミュールを1779年に発明して手織りのインド綿の神秘的とも言われた品質に匹敵する織物の生産に成功し、世界の綿織物の中心地となっていたランカシアで、1773年ジョン・ケイが機械式の飛杼(シャトル)を発明し、産業革命が進んで生産余力があった。そのためアメリカの綿花の増産にドライブをかけ、奴隷はいくらいても足りなくなって、綿畑の拡張を迫り、奴隷には長時間の厳しい労働が要求されるようになった。綿のリント(絮)を摘む仕事は指がこわばり指紋が擦り切れて消えてしまうほどのつらい労働だったという。  

「アンクルトムズ・キャビン」はこうした背景から生まれた物語である。アフリカでは奴隷狩が行われ、アメリカでは奴隷商人が跋扈し、奴隷市場で物のように売り買いされた奴隷が綿畑で限界的な労働を強制されていた。南北戦争前夜の1860年、アメリカ農業奴隷の3/4が綿畑で働き、アメリカ南部の綿花生産量は全世界の3/4を占めていた。「アンクルトムズ・キャビン」は作者のハリエット・ビーチャー・ストウが南北戦争10年前の1850年ニューイングランドで生活することになった年、議会で「逃亡奴隷法」が通過したことに怒りを感じて、奴隷制の悪を告発しようと書いたもので、奴隷制廃止論者たちの機関紙「National Era」に1851年6月から翌年4月にかけて連載された。この反響は大変なもので、連載が終わらない1852年3月に単行本として出版されると、発売初日に三千部が売れ一年間に30万部が売れたという。この小説が南北戦争の引き金になったことは意外に知られていないが、1862年ストーがホワイトハウスでリンカーン大統領と会ったときにリンカーンは「これがあの戦争を引き起こした小さなご婦人ですね。」といったという逸話が残っている。(「父権の喪失−ハリエット・ビーチャー・ストウとその家族」佐藤宏子)

ハーブリーグスのジェニー       クロンプトンのミュール

 イギリスでは1785年にカートライトの力織機が発明され、1894年にはノースロップ社の自動織機が発明されて、鉄製の力織機が普及し世界の織物を支配するほどになっていった。

 アラビアの「シロバナワタ」はアレクサンダー大王の遠征によって331年ギリシャに伝えられ、そこからヨーロッパに伝えられた。麻の織物を主にしていたエジプトに綿が伝えられたのは19世紀に入ってからで、紀元前2000年ごろから綿が栽培されていたペルーからその方法が伝えられた。この世紀半ばにオスマントルコからエジプトの世襲支配を認められたムハンマド・アリは近代化の柱の一つに綿作技術の改善を取り上げ、フランスの農学者の指導を受けていたが、この仕事が軌道に乗り始めた頃、アメリカで南北戦争がおこり、イギリスへの綿花の供給が不足したため、エジプト綿がヨーロッパで評価されるという幸運な結果になった。

 日本で綿作が盛んになったのは1532〜92(永禄・天正)の頃からで、種子が中国から輸入され、地質や水利に恵まれ気候の比較的温暖な畿内の大和、山城、河内、和泉、摂津の諸国で栽培された。以後次第に東海、関東などの寒冷でない地域に広がって行く。文禄年間(1592~1596)から幕末にかけての300年間は綿織物の発展期で、綿は上流社会の衣服に、その他は陣幕、幟、陣羽織、帆布などもっぱら軍事用に用いられた。軍事用の需要がなくなった江戸時代には富裕な庶民層にその需要が広がり、各藩が殖産政策として木綿の生産を奨励し、薩摩木綿・河内木綿・松坂木綿・三河木綿・土佐木綿・長崎木綿・白木木綿(尾張)の7銘柄が出揃っている。

 江戸時代後期になると綿は名物裂以外の袋物や風呂敷などにも用いられ、異国情緒豊かな更紗が珍重された。更紗の蝋纈、纐纈(絞り染め)、型染めなどの染色手法は絹織物にも応用されて優美な友禅が生まれた。

 寒冷地を嫌う綿は関東地域では茨城県の真岡あたりが北限で、綿作の遅れた日本では明治の終わりごろまで庶民が身につけるもの一切が麻だった。「生まれたての赤ん坊のおしめも、女たちのお腰も、親父どもの褌も、労働着も、股引も、布団も、夜着も、手ぬぐいも、帯も麻だった。」(「稗と麻の哀史」高橋九一著・翠楊社)東北地方では古くからカラムシの名で知られるイラクサ科の苧麻があり、上流階級の衣服に用いられていたが、庶民はクワ科の大麻を自家栽培して衣服にしていた。だから、温かい木綿の出現はどれほど庶民を幸せにしたのだろうか。

 綿織物近代化の始まりは明治10年に内藤新宿にあった政府の勧農局試験所に4台の洋式綿繰り機械が導入されたのがきっかけだった。

 国産の機械ができたのは、慶応3年(1867)遠州に生まれ、昭和5年(1930)63歳で没するまでの間に29件もの発明特許を取得した豊田佐吉と、大正9年に東大機械化を卒業したその息子喜一郎によって大正13年に開発された豊田式G型自動織機の誕生からだった。G型自動織機は毎分2000回転する織機に0,3秒で杼道をあけ、杼を打ち込み、筬を叩くという3動作を行って、杼の交換に許される時間も0,2秒程度しかなかったが、見事これを可能にして、イギリスプラット社の技術者たちはこれを「マジック・ルーム」と呼んだという。

 昭和4年12月、喜一郎とプラット社の間に日本、中国と米国を除くすべての国において、トヨタの自動織機を独占的に製造・販売できる権利を与える契約が成立し、豊田はその対価として100,000ポンドを受け取った。こうして日本の織物もようやく近代化の時代を迎えることになった。

豊田式G型自動織機 

 小説「女工哀史」は細井和喜蔵が東京モスリン紡績亀戸工場に勤めた経験をもとに書いたものだが、女工一人が4台の力織機を受け持ち、標準作業の1サイクルごとに杼あるいは管を取り替えなければならなかったが、豊田自動織機はその作業も自動化するので、女工一人が24台も受け持つことができた。

 長岡新吉氏は日本の産業革命の起点を明治15年の大阪紡績会社(現・東洋紡)の設立にはじまると見ている。この工場にはイギリスから輸入した蒸気機関によるミュール式精紡機16台が採用されていた。「職工事情」(明治36年・農商務省刊)によると、明治32年の時点で工場の総数は2800、そのうち繊維関係は工場数でも職工数でも70%となっている。(「シルクロードと綿」奥村正二著・築地書店)

● 化学繊維

 現在普及している化学繊維は1883年にイギリスのスワンがパルプに化学処理を加えてそれまで溶けにくかった繊維を溶けやすくしてニトロセルロース繊維を試作し、artificial silk(人造絹糸・略して人絹)と呼んだことにはじまっている。1892年には同じイギリスでビスコースレーヨンが発明され、1924年にはブリティッシュサラニーズ社がアセテート繊維を本格的に生産し始めた。いずれもパルプを原料とした繊維である。

 一方アメリカでは1936年にデュポン社のカローザスがナイロンを発明、1939年からはデュポン社がナイロンの工場生産を開始した。これはドイツのスタウディンガーなどの学者によって1930年ごろに高分子化学が興ったことがきっかけとなっている。デュポン社は1950年にアクリル繊維を工場生産し、1953年にはイギリスのキャリコプリンターズ社の特許を取得してポリエステル繊維の工場生産を始めた。  日本で本格的に化学繊維の生産が始まるのは1910年代の後半で、1918年に帝国人造絹糸(帝人)がビスコース法によるartificial silk の生産を始めてからである。1973年には日東紡績の福島工場でステープルファイバー(スフ)の生産が始まった。

 ビニロン繊維は1950年に倉敷レーヨンの岡山工場で生産を始め、ナイロン繊維は1951年に会長だった田代茂樹が社運をかけて技術導入した東洋レーヨンの名古屋・愛知工場で生産を開始している。アクリル系繊維をはじめたのは鐘淵化学で1957年に高砂工場で生産が始まった。この結果、1960年ごろに日本の化学繊維工業は、生産高で世界2位、全世界の生産量の18%を占めるまでになっていた。

 その主軸が天然繊維から化学繊維に代わったとしても、人間の暮らしに繊維が欠かせないものであることは周知のとおりである。締めくくりに現在の住生活を中心とした繊維織物の利用状況を整理すると次のようになる。

☆ 綿 天然繊維の中で世界最大の生産量を誇っている。丈夫で安価、染色性がよいという利点があるが、長時間太陽に晒すともろくなる。インテリアではカーテン地・テーブルクロス等によく用いられる。 ☆ 麻 丈夫で太陽光にも強く、独特のさらりとした感触が好まれるが、しわになりやすく縮みやすいので他の繊維と混紡・交織されることが多い。インテリアではケースメントのカーテン、緞通の経糸などに用いられる。

☆ 絹 美しい光沢と優雅な感触を持つが、太陽光に弱い。インテリアでは高級な緞通のパイルに用いられるが、その他の利用は少ない。 ☆ 羊毛 風合いがよく、通気性・保温性に優れ染色性もよい。カーペットや高級な椅子張り地として用いられる。防虫加工しなければ虫に食われやすいのが唯一の欠点。汚れ落ちはよい。

☆ レーヨン 木材パルプやコットンリンター(綿の長い毛をむしった後の短い毛)を薬剤処理して長い繊維に再生したもの。染色性がよく、安価で加工しやすいのでドレープカーテンの素材として多用されている。吸湿や乾燥で伸縮する。

☆ アセテート セルロースやたんぱく質のような繊維を化学薬品で処理したもの。構成する分子の中に天然と合成のものがあることから半合成繊維と呼ばれるものの代表である。

☆ ナイロン 磨耗、へたりに強く毛玉やもつれもできにくい。汚れ落ちも比較的よいが、調湿性はない。公共建物・商業施設のカーペットに多く用いられる。

☆ ポリエステル カーテンや住宅用のカーペットにもよく用いられる。磨耗に強いが、弾性回復力は弱く家具等を置いたあとがつきやすい。汚れ落ちは比較的よい。