「オープン開先工法開発のきっかけ」・・・ 三井建設(株)松崎博彦

 2年目の嘱託期間が終わろうとしている時にこのタイトルの原稿依頼をいただいた。自分としては、まだ昔を振り返る気はないと思っていたが、気になる現場のことがよみがえってきた。
 名古屋に立つ鉄骨造全溶接構造の事務所ビル、日本設計、新日本製鐵、三井建設のチーム編成によるもので、昭和60年の春のことである。
 私は鉄骨担当者として、久々の現場勤務、名古屋への単身赴任、これから始まるであろう繁栄(後のバブル)の雰囲気が漂っていた。ふくらみかけの繁栄はバブルとは言わないだろうが、それまでの閉塞感からの脱却が加速度的に動き始め、まさにバラ色の予感があった。
 建築の溶接に携わっている者にとって、裏当金や部材を密着させることは、これまで疑いようのない基本原則として受け入れられていた。隙間が2ミリ以上あいていたらダメとか、補修するとか・・・いわば密着度が高ければ高いほど良いことだった。
 しかし現実はそれほど単純ではなかった。
 現場での柱継ぎ溶接と梁端部での現場溶接を組み込んだ当時としては最も合理的な方法を採用した全溶接構造は、組立精度と熱変形の戦いである。骨組の仕上がり精度を期待する結果、あらかじめ、柱を扇形に開いて建てるなどの工夫をするのだ。当然のことだが部材の密着は期待できない。現場としては涙をのんでこの部分は妥協したつもりだった。しかし現実はこの隙間が好結果を生んだのだ。ブローホールはなく超音波による欠陥も検出されない。なぜだ。通常ならそういうこともあるさ!!という程度で作業としては進んでしまったはずだが、このチームのゆとりがその後の研究を生んだ。そして、最終節の溶接部では、全てを隙間にしたオープン開先工法(と命名)にまで飛躍させてしまったのだ。溶接工の間では、「裏当金が密着されていると具合が悪い」とは言われていたが、学術的な裏付けがあるわけではなく、自分の技量を棚にあげた言い訳として現場の声が表面に出てくることはなかった。
 溶接の教科書は、”裏当金はピッタリ付けるべし”とうたってあり、真面目にやればやるほどブローホールが多発し、その結果「お前の技量は劣る」とされていたのだ。その後、このテーマはジャーナリズムの間で話題となり、発生メカニズムの研究がいろんな分野で行われた。しかし納得できる定説にはたどりつかない。
 世の中には理屈はわからないが、現象としては把握できる事実は沢山ある。鉄骨業界では、迷信だとも知らずに盲信している人のいかに多いことか?時代のほうが先に新しい評価尺度に変わったとき、破門された者が、破門を申し渡した者よりも栄えていくという歴史的な事例を思わずにはいられない。