「戸建免震住宅の開発」・・・・ 河合 誠

 昭和60年頃だと思います。阿部常務(現PSATS常務理事)が高崎のある会社のモデルハウスを見学に行くと言うので、同行することになりました。そのモデルハウスは、色々の技術が盛り込まれていたはずですが私の覚えているのは、ボールベアリングを土台と基礎の間に並べた免震システムです。
 その当時、ゼネコンが試行建設を始めていた免震システムを戸建住宅でもやってみようと阿部常務が提案されたのが免震住宅開発の第一歩でした。三井ホームでは、62年・63年に研究体制を整え東京大学生産研究所 千葉試験場で振動台によるボックステストと実大建物による自由振動テストおよび地震振動観測を行いました。実施建物としては、伊豆高原にオイレス工業保養所としてツーバイフォー免震建物第1号を完成させました。この2年間は、私は現業部門に出ていてオイレス工業保養所の完成時に研究所に復帰しその後の開発に従事することになります。
 共同研究は、東大生研の藤田先生、東大工学部の坂本先生、免震装置メーカーとしてオイレス工業とブリジストンと錚々たる陣容で研究開発が進みました。オイレス工業の保養所(三井ホームM−300)が完成してから伊豆の群発地震が発生し実建物での観測データを収集することができ免震の効果が確認できました。大橋先生とは、定期的に現地に赴きデータの収録や管理人から地震による地鳴りや揺れ方や台風での揺れ方をヒアリングできたことは、その後の開発に大いに参考となりました。またこれらの研究が免震住宅研究会の課題になったりその後の告示に大きな役割を果たしたと思います。
 実需においては、問い合わせや計画はあったもののコスト高によりなかなか建設まで至らず、折角38条認定を取得しても免震住宅建設に至らない物件があったりで一時休眠状態を余儀なくされていました。 平成7年1月17日に阪神淡路大震災を迎え免震構造の評価が高まったことにより、再度開発を進めることとなりそれまでの積層ゴムによる免震支承の課題であった荷重を集中させる設計の難しさとコストダウンのためにベアリング支承に変更することにしました。当時鹿島建設で実用化されていた免震床に採用されていたベアリング支承を軽量な木造住宅用に改良し当社のコンピューターセンター増築工事でまず試行することになり38条認定を取得することにしました。
 ベアリング支承(三井ホームM-400)は既知の技術であり簡単に評定がすむものと思っていましたがなかなか作動原理に対する理解が得られず3ヶ月の評価期間を要しました。装置の信頼性に対しても転がり面の錆やゴミによる摩擦抵抗値の変化をシミュレーションにどう反映させるかなど多くの困難を乗り越えられたのも鹿島建設の技術陣の努力に負うところ大でありました。
 免震住宅の開発を通じ感心させられたことがあります。たとえば小荷重用の積層ゴムでは、プロポーションが縦長になり少しの変形で座屈してしまうので、それを防ぐために首なが族が首にはめているようなリング(バックアップリング)を積層ゴムの外周に取り付けるアイディアを考えだすなど装置を開発された機械系のエンジニアの方々の豊かな発想です。
 免震構造が住宅として次第に受け入れられてきた現状で一つ心配なことがあります。はたして免震構造の特性(限界)を十分説明したうえでユーザーに販売しているかと言うことです。免震住宅は、もともと耐震構造の上部構造に家具の転倒防止や地震からの恐怖心を和らげるための機能を付加したものであり且つある範囲の地震動に対しては有効に働くもののそれ以下またはそれ以上の地震動に対しては、耐震構造と同等であります。また液状化に対してはむしろマイナス効果になることを承知したうえで建設されるべきものです。
 住宅免震については慎重さが不可欠。これが今の心境です。

図―1 三井ホーム M−300 (初期開発の免震構造)

図―2 三井ホーム M−400 (現行の免震構造)