- 観・想・考10
- 「元気老人生産技術」 ・・・・・ 小須田廣利
- 87歳の老人との同居には、年若の側にかなりのエネルギーが必要である。逆の意味で当然老人側にも必要であろうが。年若側からの一方的な感想としては、会話やら行動が同じ土俵にのれないことが、大きな原因になっている事である。会話においては、老人が理解しやすい言葉と言いまわしで、そしてゆっくりと、低音で話す必要がある。通常のスピードとカタカナ語はご法度である。時間のないとき、お互いの行き違いがある時などは、早口で高音になると、ますます会話にならない。いらいらが増幅効果でより高い次元にのぼって行く。老人には1日の時間がたっぷりある。年若にはあまり時間が無いので、いらいらが増幅されないうちに、要点のみを合理的に理解し合わなければならない。そしてその技術をそろそろ習得しなければならない時期でもあった。
ネコがその技術を持っていた。自分の都合だけで媚びたり、完全に無視したり出来る技術を会得している。この技術を応用すると、老人と年若達との生活もより合理的に、そしてある時には<いやし>のある、ばら色の同居生活が待っているのである。????????
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「住宅とまちなみ」・・・・・向野元昭
- 風に吹かれながら、朝早い時刻に、霞ヶ浦に突き出した住宅地の外縁の堤を散歩するのは気持ちがよい。30数年を経過した住宅地は、庭木は生い茂り建物も、古びたものが目立ち、既に3分の1ほど建て替えられている。外国の住宅地の景観はそれなりに美しさがあるが、どうもこの散歩コースでは景色がチグハグでまとまりがない。住宅地としては、日本のレベルからみて決して低い方ではないが、原広司先生の「集落の教え」のなかに写し出された光景のようなそれを見る者への感動が沸いてこない。
戸建住宅のなかに、明らかに仕様を落とした賃貸アパートがあり、自営の瓦店、塗装店、牛乳店の看板が揚がる。一方、戸建住宅も纒まっているわけでもない。プレハブメーカーの初期のものは、パネルの繋ぎのやといざねとビスが見えていて、如何にも安っぽくあれでは建て替えたくなるのも頷ける。最近、建て替えられたものの外観もさまざまである。煉瓦やタイルを摸したサイディングウォールが多数派だが、コーナーを石張り風にした派手なイエローの輸入住宅が目をひく。また、建築家の手によると見られるものも、数十年経った、今見ると流行おくれという感じで痛々しい。
断熱性の向上、機械換気の標準装備、外装材の高品質化などに伴い建物の寿命は確かに延びてきている。それ故に、現在創られている、まちなみの景観がこれから50年ほどの評価にたえられるものかという疑問が沸く。
日本の伝統的なまちなみの景観については慎ましいなかに落ち着きと尊厳さを秘めていると思う。今、それにかわる価値観が形成されていないための混乱の中にある。これは、いずれ中古住宅の流通市場ができて、まちなみの景観までも含めた、価値判断による評価でよい方向に向かうと思う。
「会社の中にも研究室が…」・・・・・小鹿紀英
- 私が会社に入ったのは1979年、オイルショックの末期である。配属は武藤研究室。今考えると赤面の思いであるが、当時の私は武藤先生の詳しい業績を知らなかった。ただ、会社の中に個人名の研究室がある事に驚きを覚え、自分がその一員となる事に戸惑いを感じた。
大学時代は、師事する教授の研究室に属して研究するのはごく当然のことであったから、会社に入ってからもただ配属が研究室という理由だけで、何となく大学の延長のような感覚でいたが、また不思議な事にそれが許される部署であった。ただ一日中、自分の興味の赴くままに、技術書や論文を読んで過ごしていても、上司は何も言わなかった。また、直接会社の利益に結びつかない研究をしていても、咎められる事も無かった。入社当時は不景気のどん底であったにもかかわらず、まだそれを許容するだけの余裕があった。
出口の見えない平成大不況の今、企業で許される研究は工事入手やCD、工期短縮など会社の業績向上に直結するテーマのみで、当時の状況は望むべくも無いが、その時の蓄積が今の自分を支えている事は疑いの無い事実である。
民間企業で研究部門に配属された若い世代には過酷な時代になった。