観・想・考07

歌 声・・・泉 清之
大林組を退職して一年が経過する。40年近いサラリーマン生活で身体に沁みついた生活習慣も大きく変わった。一番の変化は時間的な余裕が出てきたことであろう。還暦祝いと称して高校や大学時代の同期が集まる機会も多い。
 先日も広島大学合唱団に所属していた同期8名が広島に集まり、旧交を暖めた。この内3名は卒業以来の再会であった。広島市内から移転した大学キャンパスを初めて訪れ、あらかじめ連絡を取っていたという現役団員の練習風景を見学した。
 この合唱団は、我々が入学した頃は、当時流行っていた歌声喫茶の延長のような集まりで、これに対して本格的なハーモニーを求めたいとする我々同期の不満が募り、2回生の時に名称も変え再発足させたもので、3回目を迎えるその年の定期演奏会も初めて有料で開催した。先輩達との軋轢もあり、苦渋の中で再発足した合唱団が40年を経た今も存続していることに大きな驚きと感慨を覚えた。合唱団に限らず、チームによる活動は、少なからず個人の犠牲を伴う。それだけに演奏会の後の達成感、充足感は大きい。近年、個の犠牲を嫌う若者が多い中でこうした活動が継続しているとは想像だにしなかった。柔軟体操を含む一時間半のパート練習の後、やっと合同練習に入る。パートリーダや指揮者の指導内容も当時に比べるとずっと厳しいものであった。年月は練習方法だけでなく歌のレベルも大きく変えていた。練習の合間には、事前に用意していたのであろう歓迎の歌を聞かせてくれた。趣味を同じくするものが世代を超えて一体となった。
 12月には第43回の定期演奏会を開催するという。練習の歌声を後に、その成功を祈りつつ帰路についた。


世紀末雑感・・・ 小畑晴治
 20世紀って何だったのだろうかと時々思うことがある。大半の国で、民主化が進み、基本的な人権が守られるようになったし、ほとんどの人が、医療や教育や交通といった文明の恩恵を享受できるようにもなった。しかし、どうも何か大切なものが失われていると感じているのは小生ひとりではあるまい。
 都市の中の大切なもの、住まいの中の大切なもの、家族の中の大切なもの、社会の中の大切なものが、どうしようもなく侵食され、破壊されてはいないであろうか?組織や社会体制の巨大化が、目先の合理性で妥協する体質を生み、微妙なニュアンスを含んだ個々人の中の『真理』を抹殺しているのかも知れない。建築技術というのも、目先の合理性で測られたのでは、真髄の伝承はおぼつかない。失敗して、苦労して掴んだ『真理』をどのように伝えるのか、NPOならではの議論が熱を帯びている。
 21世紀は、ネットワークの時代とも言われるが、便利さや効率をこれ以上求めるよりも、大切なものを見極める力、大切さを学ぶ力、大切なものを伝える力を高め、できるだけ多くの人と共有できる生活社会環境の実現、という意味での新しい幕開けを期待したい。

思いを新たに・・・ 細川洋治
 現在建物の耐久性について色々議論されていますが、私の頭の中も、イニシャルコスト、資産価値、社会性など検討要因が多く、堂々巡りの状態でした。いつも何か大切なことを忘れているのではとの疑念が、頭から離れない日が続いておりました。あるとき、自分がスタートした原点に帰ろうと思い、私が構造設計に進んで最初に手にした専門書である武藤清先生の、旧建築学大系14巻“構造設計”を手にして、思いを新たにしました。
 本書の総論の「建築物そのものを機能的に見るときには、社会に生きているもの、生命をもつものと考えなければならない。(略)。構造そのものは設計者と施工者との協力で造られるが、できたものはその土地に生まれ、社会に生き、風雨にさらされ、寒暑にたえ、人的の被害や自然の災害を受けながら、いつかは亡びるのであるが、その姿は、いのちをもつものとして初めて理解されるものである。(略)。」「よい設計を得るためには、規則による形式的計算は従であって、構造の根本を理解して、健全な生命を与える熱心な努力が最も大切なことである。」などのごく当たり前とも思われる記述が、自分には改めて新鮮に思われ、これを、今後の指標として大切に心に刻み込みたいと思います。今から35年前、書店で内容も見ず、序の最後に“1954年明月の夜 武藤清”、さらに“1956年チューリップの咲ける日 武藤清“とあり、このようなことを書かれる著者は、きっといい先生だと思い購入したものです。
 日頃は、ややもすれば目前の成果優先となりがちのところ、原点を見つめた生き方について改めて考えさせられました。造る技術のみを前面に出した物づくりはおしまいにして、これからは使う人の身になった建築を目指し、耐久性・耐久設計を考えてゆきたいと思います。