「地球の資源は誰のもの」・・・・舛田卓哉


 月探査衛星「かぐや」から見る地球は何とも美しい。漆黒の闇に浮かぶ青く輝く地球を見る度にそこに同乗している人間やその集合体である国同士が些細なことで争っていることがなんとも小さく見える。宇宙飛行士の人達も一度この経験をすると人生観が変わるという。今話題になっている地球温暖化への取り組みも各国のエゴが表面化しているが、サミット等開かずとも一度世界の首脳達をスペースシャトルに乗せて宇宙から地球を見せたほうが効果があるのではと思ったりする。その意味でこの映像には人種を超え国を超えて人類は一つの地球人なのだという自覚を目覚めさせてくれる効果があるようである。

 さてこの地球では今資源を巡る各国の葛藤がまたまた表面化して来た観がある。資源を持つ国はそれを高く売り払うことで裕福となり、持たざる国はひたすらそれに甘んじて必死に生きる構図となりつつあるように見える。原油価格は1バーレル当たりついこの間まで20ドルだったのに100ドルを超え、鉄鉱石も昨年の65%もアップして屯当たり80ドルになった。こちらも一時期の5倍の価格である。石炭も値上げが予想され、資源を持つ国の躊躇もない値上げに経済原則とはいえ何かがおかしいと感じている。勿論投資ファンドの影響が大きく国策としてやっているわけではないとは思うが、資源国が結果として潤っているのは事実である。「中東の笛」なるもマネーあってのことであろう。極論ではあるが自国の国土に資源があるというだけで独り占めにしてもいいものであろうか。何かを必死に生産しその努力の代償を受け取るのであれば納得もいくが、元々は人類全体の共有財産なのにとふと思う。原油で言えばOPEC(石油輸出国機構)も20ドルだったものが100ドルで売れれば何も増産せずにこの状況を続けるに違いない。資源の枯渇を延命が出来るならなおさらのことであろう。だぶつくマネーの力で資源の寡占化が進み、その力を背景に益々高く売りつける図式は何時の日にか暴発の予感がしてならない。歴史が巡って資源戦争が起きないことを願わずには要られない。「働かざるものは食うべからず」と言うが、同じ地球人としていささか不公平と思うのは持たざる者の僻みであろうか。青い地球を見るたびに「地球は皆の物だよな」と思うこのごろである。

「七十従心」のそなえ・・・・伊藤誠三


 70を過ぎ,オフィスへの道すがら,女の子がどんどん追い越してゆくのに気がついて,愕然とする.もうそろそろ,身辺の後始末に掛った方が良いのではと,棚を見ると,この間使ったばかりと思っていたカタログがもう3年以上も前のものになっている.どんどん捨てることにした.棚に空隙ができ,ファイル箱が空いて,さっぱりしてくると,気持ちも軽くなってきて,まだまだやる事があるような気になってくる.

 論語に曰く,「七十にして心の欲する所に従ひて矩を踰えず」(七十而従心所欲、不踰矩)も,言い換えれば,齢70ともなれば,もう矩を越える程の事はできない.というわけで,もう好きなようにやればよい,と急に元気になり,努めて大股で足早に歩くことにした.お陰で,途中でコーヒーブレイクをとる事になったが.元気になったとはいえ,年齢的に終りの心の準備も必要だろう.

 先日のお酒の会の放談で,そのことがつい口に出て,「それを文章にしたら」とそそのかされた.以下はその時の言い条,

 「ピンピンコロリとゆきたいという人がいるけれど,僕はそうは思わない.世話して呉れる若い女性に食事,風呂や下の世話までしてもらって,最終章を楽しみたい.そのように育てられた赤ん坊の頃の事は何も覚えていないのだから.時に訪ねてきてくれる人あれば,昔の佳き話など少し思い出して,留別の言葉を送りたい.」

 映画を見に行って,終の文字と共に席を立つ人がいるが,その人はピンピンコロリ志向の人に違いない.私などはエンディングの音楽と共に延々と流れる製作に苦労された方々のリストもすべて見て,場内が明るくなってから,漸く立ち上がるのが常だ.

 最後の世話を受ける心得としては,先ず,体重をできるだけ軽くしておく,嫌味を言わない.有難うを口癖にしておく,あなたはどなたですかなどとは聞かない.今まで数え切れないほどの人と会ってきて,もうそれが誰だったかを見分ける必要はないと思うから.

 最後は,その期間をせいぜい半年間と心に決め,木食上人のように,首尾よく枯れる事ができれば最高だ.