「日 本 酒」・・・・堀井秀治


 日本酒の需要はここ30年以上減少を続けている。清酒の全国製成数量は、昭和40年代後半がピークで、年間約150万klあったもが、現在では70万kl/年を割って半分以下に落ち込んでいる。ということは、需要減で酒造業が成り立たなくなっているわけで、酒蔵の数も昭和30〜40年代には4,000蔵以上あったものが現在では約1,700蔵にまで減っている。この10年間を見ても、年平均40蔵以上が休廃業に陥っている。私は25年ほど前に福島県会津若松の清瀧酒造という酒蔵の建築工事に携わったことがあるが、その蔵も、6年前に廃業に追い込まれてガックリした。
 ところで、日本酒とは米だけの醸造酒であるべきなのが、実際にはアルコールや糖類などを添加したリキュールタイプのものが大半を占めている。本来の醸造酒である純米酒は、純米吟醸等も含めて全体の一割程度に過ぎない。何故そうなったのか。戦中戦後の米不足=酒不足時代に、酒を増量するために、昭和17年にアル添(アルコール添加)酒が認可され、昭和24年には酒量を3倍にする三倍増醸造酒が出現した。このアル添酒が当たり前のものになって今日まで継続しているわけだ。
 さて、近年の清酒の需要減は、酒別としてはアル添酒である普通酒及び本醸造酒であって、純米酒は横這い或は微増している。酒造業界の地盤沈下は、まだ普通酒に依存する蔵が多いことが要因の一つに考えられる。
 我が国の飲酒の風習をみると、晩酌という習慣は過去のものとなり、企業でのいわゆるノミュニケーションの場も無くなっている。酒類もど−ル、焼酎、ワイン、ウイスキー等それぞれが多種多彩となり、特に若年層では日本酒を飲もうという傾向が少ない。一方、日本酒ファンとしては、歳とともに多少高くてもウマい酒を飲みたいという消費傾向に変わってきている。そうしたニーズに応えられる酒蔵は、業界の勝ち組として今後とも活躍するであろう。酒造に関する技術は、最近も進化発展を続けており、新しい酒造米、酵母等の開発により、味・香り・コク等の個性豊かな銘酒を比べ飲みできるようになってきている。
 日本酒を趣味(酒味)とする私としては、アル添の普通酒はいらない。3,000年の伝統文化でもある本来の日本酒(純米酒)を一層発展させるよう勝ち組で残る酒蔵には頑張ってもらいたい。
 純米酒で乾杯!!

「日本の四季(春)」・・・・本間繁敏


 編集担当の方から本誌への投稿の依頼をいただき、文才に乏しい私は戸惑いましたが、恥を忍んで投稿させていただきましたことをまずはお許しください。
 唐突ですが、日本には四季というものがありますが、地形が南北に長いことから北と南では、かなりの違いがあります。今回は“春”について書いて少し書いてみたいと思います。
 私は「山形県庄内地方」と呼ばれる、日本海に面した小さな町で生まれました。生まれてから高校卒業までの18年間を過ごしたこの地方の“春”ですが、その代表はやはり「桜」です。(日本の代表ですが・・・)この地方での「桜」の開花は例年4月中旬ごろです。
 この「桜」は、時期こそ違いますが、日本中どこでも見ることができる唯一の花(華)ではないでしょうか。(“春”の中にも四季がある?)なぜだかこの時期になると、話題が「桜」になり、その開花直前ともなると、胸がわくわくするのは私だけではないはずです。(花見ができることもその理由のひとつですが・・・)どうしてかと聴かれても、なかなかはっきりとした答えはできない方がほとんどでしょう。華やかに咲いた「桜」の花は短命で、あっという間に散ってしまう、そんな「桜」と日本人が元来持っている特有の何かを結びつけるものがあるのだろうと想像できるのですが、なぜかは不明です。“散り際がいさぎよい”からかもしれません。(逆に言えば、粘りがない?)
 日本の代表的なものと聴かれれば、「桜」のほかに「富士山」とだれもがいうと思うのですが、ではなぜ「富士山」なのでしょうか。
 確かに「富士山」は日本一の山であり、「桜」と同様になぜだか「富士山」を見ると、というよりは「富士山」が見えると、喜びを覚えます。(私だけでしょうか・・・)自分の住んでいるところから、電車の中から、飛行機の中から、いろいろな場面で見ることができる「富士山」は日本人とって“安心”できる象徴だからかも知れないと私は考えます。
 昨今、いろいろな意味で“安心”が崩れてしまい、それに伴って心までも荒んでいる現状に、不安を覚えるのは私だけでしょうか。