「我が家の5匹の猫」・・・・片山 正
我が家には5匹の猫が家猫(家の中だけで飼う猫をいう)として同居しております。 |
「クアラルンプールしょーとステイ」・・・・鮫島直昭
生まれついての喰しん坊だった私のPTSD(心的外傷後ストレス障害)は、食べ物に関係しています。なにしろ幼い頃に父から“喰いシュン”と呼ばれていたほどです。私が外へ遊びに出ている間に両親たちが「数が足らないからあの子が帰ってくる前に食べよう」としたら玄関で「タダイマ~」の声、親戚にお遣いに行くと「アンタ、ちょうどいいところに来たね。美味しいものあるよ」。これに反し妹は「あんたが来るときはいつも何も無いわ、ゴメンネ」といった状態。
さて、一つ目のPTSDは“ラッキョ”にまつわる話です。 1950(昭和25)年9月3日は朝から荒れ模様の天候でした。数日前に発生した台風が徳島に上陸。昼ごろには淡路島を経て神戸に再上陸しました。2階で食事中だった我が家にも暴風雨が襲い道路の反対側に建っていた土蔵(酒米を収納していた)が崩れ落ち、それに巻き込まれて隣の風呂屋も倒壊しました。風除けの土蔵がなくなったため、我が家の道路側の窓ガラスは割れ家族全員1階に難を避けました。暴風雨が治まった数時間後(たぶん午後3時頃?)、恐る恐る見た2階の光景は惨憺たるものでした。ガラスの破片と泥濘で足の踏み場もありません。その中に昼食用に食卓に並べてあったラッキョも転がっていました。それ以来、ラッキョを見ると怖かった数時間を思い出し口に入れる気がしなくなりました。我が家では特に台風シーズンにはラッキョがタブーとなりました。 二つ目の食べ物は“シュークリーム”です。 あるとき母に連れられ京都中心部のデパートに買い物に行き、食堂でシュークリームを食しました。その夜、激しい下痢と嘔吐に苦しめられた私は昼間食べたシュークリームが原因と思い込み、その後成人するまで決して口にしなくなりました。目にしただけでも気持ち悪くなったほどです。後日、母から聞いた話では原因は別にあったそうですが・・・。 なお現在ではこの二つの食べ物も美味しく味わえるように回復しています。 |