「我が家の5匹の猫」・・・・片山 正


 我が家には5匹の猫が家猫(家の中だけで飼う猫をいう)として同居しております。
3猫を飼うきっかけは、定年退職したことから、時間が出来るのでペットでもと考え、犬と猫を検討した結果、犬は雨の日も、雪の日も必ず朝晩の散歩が必要であることと、家の中で飼うことから、汚物に対するしつけに時間がかかる、猫に比較して臭気が強いなどの理由から、きれい好きの猫を飼うことにしました。
 ペットショップで生後6週間のアメリカンショートヘアー(シルバータビー)のメスを入手し名前を“メグ”にしました。しつけについては、当初はケージ(猫用のオリ)の中で食事、爪研ぎ及びトイレのしつけを行い3〜4日でマスターしました。1匹では寂しいので、約10か月後、日本では非常に珍しいアメリカンショートヘアー(レッドタビー:眼の色がゴールド〜赤色)のオスを入手し“もも太”(私の生まれが岡山)にしました。
 約22年間住み慣れた所沢の家を売却し、印旛郡本埜村に横並びの2世帯住宅を建て2年前(2005年8月)に引っ越しました。引っ越した年の11月にほとんど白色の野良猫(生後約6ヶ月オス)が頼って来ましたので、ワクチン注射の後、仲間入りしました。眼が藍色でしたので“アイ”と名付けました。その後、間もない2006年1月の冬に“メグ”と“もも太”の間に2匹の子供が生まれました。大雪の日に生まれたことからオス(85g)を“ソラ”、メス(92g)を“ユキ”と名付けました。
 5匹の性格は、メグは気が強く猫同士のけんかを仲裁したり、よそ者には立ち向かいます。もも太はわがままな甘えん坊で、ソラはのんびり屋さんでお人好しですが、怒ると実力No1.ユキは母親似で気が強いが父親似の甘えん坊な面もあります。野良のアイはやんちゃな暴れん坊。
 現在、新築のリビングルーム(8畳)は猫部屋となりました。あらかじめ想定していましたので、床材は、15mmの無垢材(爪痕はサンディング後、再塗装使用できる)を使用しており、天井材はアンモニアなどの臭気を吸収分解する製品を使用しています。
 猫は、よく家につくといいますが、私は、人になじむと思います。外出着を着ると寂しい態度をとるが普段着の時は、落ち着いて安心しています。食事の催促と、遊んでほしい時の仕草が違います。一番うれしいことは、いつも帰宅時に玄関へほぼ全員が出迎えてくれることです。猫は、決して頭は悪く無いと思います。

「クアラルンプールしょーとステイ」・・・・鮫島直昭


 生まれついての喰しん坊だった私のPTSD(心的外傷後ストレス障害)は、食べ物に関係しています。なにしろ幼い頃に父から“喰いシュン”と呼ばれていたほどです。私が外へ遊びに出ている間に両親たちが「数が足らないからあの子が帰ってくる前に食べよう」としたら玄関で「タダイマ~」の声、親戚にお遣いに行くと「アンタ、ちょうどいいところに来たね。美味しいものあるよ」。これに反し妹は「あんたが来るときはいつも何も無いわ、ゴメンネ」といった状態。

 さて、一つ目のPTSDは“ラッキョ”にまつわる話です。

 1950(昭和25)年9月3日は朝から荒れ模様の天候でした。数日前に発生した台風が徳島に上陸。昼ごろには淡路島を経て神戸に再上陸しました。2階で食事中だった我が家にも暴風雨が襲い道路の反対側に建っていた土蔵(酒米を収納していた)が崩れ落ち、それに巻き込まれて隣の風呂屋も倒壊しました。風除けの土蔵がなくなったため、我が家の道路側の窓ガラスは割れ家族全員1階に難を避けました。暴風雨が治まった数時間後(たぶん午後3時頃?)、恐る恐る見た2階の光景は惨憺たるものでした。ガラスの破片と泥濘で足の踏み場もありません。その中に昼食用に食卓に並べてあったラッキョも転がっていました。それ以来、ラッキョを見ると怖かった数時間を思い出し口に入れる気がしなくなりました。我が家では特に台風シーズンにはラッキョがタブーとなりました。

 二つ目の食べ物は“シュークリーム”です。

 あるとき母に連れられ京都中心部のデパートに買い物に行き、食堂でシュークリームを食しました。その夜、激しい下痢と嘔吐に苦しめられた私は昼間食べたシュークリームが原因と思い込み、その後成人するまで決して口にしなくなりました。目にしただけでも気持ち悪くなったほどです。後日、母から聞いた話では原因は別にあったそうですが・・・。

 なお現在ではこの二つの食べ物も美味しく味わえるように回復しています。