「美術館」・・・・岡村清治


 最近一年半程、横浜市の大型公共建物の設備の劣化調査及び保全計画策定委託業務をする仕事に恵まれた。建物は竣工後10年〜30年の図書館、福祉会館、美術館、スポーツセンター等で、仕事自体は設計図面を市の設備分類表に従いデータ化し設備台帳を作成、目視とヒヤリングにより、一次診断を行い調査表・保全計画表を作成する単純な作業でした。

 これ程まとまった劣化調査(≒40件)は始めての経験だった為、設備の劣化状況、不具合傾向に自分なりの整理が出来、又時代により、設備のシステム、部材の変わり行く過程もつかめて、興味深いものがありました。

 上記の物件の一つに横浜美術館がありました。平成元年に市政100周年、開港130年を記念して開催された横浜博覧会の開幕と同時にオープン、丹下研究室により設計された建物です。最初裏方の通用口より入り、竣工図書を拝見した感想としては、設計者は誰かも分からないし、左右対称の建物で幅180mもあり、機械室が15箇所もある、変わった建物だなと思いました。築18年、海岸に近い為、塩害により痛んだ機器・部材も見受けられ、大切な収蔵庫の温湿度を一定に保つ為の低温用冷凍機も限界にきており、地域冷暖房の熱源を来年から導入との事で、年月と共に設備の劣化、旧式化は避けられないと強く感じました。

 一週間程前みなとみらい駅に近い事もあり、「水の情景」という企画展にも誘われて再度、本当に久しぶりに美術館に行ってきました。今度は建物、設計者の予備知識もいれ、入場料を払い正面玄関より入りました。花崗岩と大理石で囲まれた豪華なエントランスホール、2・3階吹き抜けの明るいグランドギャラリー、落ち着いた雰囲気の空間、とても18年も経た建物とは思えません。個々が廻りにうまくとけ込み成熟さえ感じさせます。建築と設備のあまりにもギャップに驚きました。

 設備の場合、劣化は建物竣工と同時に始まると思います。またいくら劣化を防いでもパソコン程、極端ではないにしても旧式化は避けられません。次々に高効率・省エネ化機器部材、新しいシステムが出てきます。いずれ取り替えられる運命にある設備を出来るだけ長持ちさせながら、新しい技術をにらみ、いかにタイミング良く改修していくかに腐心する事も設備屋の大切な仕事ではと思いながら帰途につきました。

「私のPTSD」・・・・中村俊一郎


 生まれついての喰しん坊だった私のPTSD(心的外傷後ストレス障害)は、食べ物に関係しています。なにしろ幼い頃に父から“喰いシュン”と呼ばれていたほどです。私が外へ遊びに出ている間に両親たちが「数が足らないからあの子が帰ってくる前に食べよう」としたら玄関で「タダイマ~」の声、親戚にお遣いに行くと「アンタ、ちょうどいいところに来たね。美味しいものあるよ」。これに反し妹は「あんたが来るときはいつも何も無いわ、ゴメンネ」といった状態。

 さて、一つ目のPTSDは“ラッキョ”にまつわる話です。

 1950(昭和25)年9月3日は朝から荒れ模様の天候でした。数日前に発生した台風が徳島に上陸。昼ごろには淡路島を経て神戸に再上陸しました。2階で食事中だった我が家にも暴風雨が襲い道路の反対側に建っていた土蔵(酒米を収納していた)が崩れ落ち、それに巻き込まれて隣の風呂屋も倒壊しました。風除けの土蔵がなくなったため、我が家の道路側の窓ガラスは割れ家族全員1階に難を避けました。暴風雨が治まった数時間後(たぶん午後3時頃?)、恐る恐る見た2階の光景は惨憺たるものでした。ガラスの破片と泥濘で足の踏み場もありません。その中に昼食用に食卓に並べてあったラッキョも転がっていました。それ以来、ラッキョを見ると怖かった数時間を思い出し口に入れる気がしなくなりました。我が家では特に台風シーズンにはラッキョがタブーとなりました。

 二つ目の食べ物は“シュークリーム”です。

 あるとき母に連れられ京都中心部のデパートに買い物に行き、食堂でシュークリームを食しました。その夜、激しい下痢と嘔吐に苦しめられた私は昼間食べたシュークリームが原因と思い込み、その後成人するまで決して口にしなくなりました。目にしただけでも気持ち悪くなったほどです。後日、母から聞いた話では原因は別にあったそうですが・・・。

 なお現在ではこの二つの食べ物も美味しく味わえるように回復しています。