「海釣りと仕事を楽しむ」・・・・貝原尚夫

 「マージャン、カラオケ、ゴルフをやめろ」と言った著名な経済評論家の言葉の影響か、周りにもその様な空気が漂い、経済的な要因も重なり急速にゴルフに対する情熱は冷めていった。ゴルフをやめて既に10年が経つが、最も大きな理由は一向に上達しない我腕であった。その後は、22年前に赴任先の新潟で覚えた海釣りが取って代わった。
 2年前に定年を迎え、夢をかなえる最後のチャンスと独立をした。それまで毎週のように行っていた海釣りには、例の耐震偽装事件の影響か、仕事が猛烈に忙しくなり行けなくなった。休みも取れない程仕事漬けの日々が数ヶ月続いた。そのためか体調が悪くなり仕事をセーブしないとだめかと思うようになった頃に、仕事のピークも過ぎ、時間にゆとりが取れるようになり、再び海に出かけられるようになった。その効果か、最近は体調も改善してきたように感じる。しかしながら、余りのんびりしていると、会社が立ち行かなくなってしまうという、危機感も芽生えてきた。程良く仕事も消化し、大好きな海釣りに出かけて、鋭気を養い、また仕事に励むという良い循環を定着していきたいと思っている。
 ところで近頃、偽装事件の影響か、必要以上に構造性能を心配する人が増えて来ている。あれだけ社会を騒がせた事件なので解らないではないが、あれは犯罪であり、事件を起こした人に根ざす問題が殆どだと思う。私は、お客様の生命・財産を守る極めて責任の重い住宅構造設計の仕事を、30数年続けてこられたことに誇りを持っている。同じ様に見られてしまうのかと思うと、とても寂しく辛いものを感じる。社会的責任の極めて大きい仕事であるからやむを得ないと言えばそれまでだが、今まで以上に仕事の幅が増えているのもまた事実である。だからこそ一層、海に行き、釣り糸を垂れ、釣れたときの何とも言えない高揚感を全身で感じたい。そして精神を開放し、疲労を蒸散させ、再び仕事を楽しむ意欲と体に元気を取り戻すことを心がけていきたいと思っている。今年の目標は、仕事を楽しみながらの週休1.5日の確保と黒鯛とスズキを釣ることだ。
「60年振りの満洲(中国東北部)」・・・・宮崎吉英

 満洲国・新京特別市(現中国東北部吉林省都長春市)。そこは、私にとって小学校(当時は国民学校)の6年間を過ごした第二の故郷である。大東亜戦争(第2次大戦)が、敗戦という形で終わり、翌年、引揚者となって、無蓋貨車に詰め込まれ、新京(長春)を発った。途中大雨にあったり、奉天(瀋陽)に足止めされたりして、胡廬島からリバティー型の輸送船で博多の港に命からがら帰国した思い出の地である。その後、日本の戦後の復興期に新しい学制で学び、そのまま就職。もう一度満洲(現中国東北部)に行くなどということはないだろうとずっと思っていた。
 昨年5月、満州当時の小学校の同窓会『八島会』主催の母校への訪中団が結成され、思いも掛けず故郷を訪れる機会を得た。実は、私の亡き母親は、20数年前に長春を訪れている。その折りの写真を見ると、当時は戦前の都市の姿がまだ残っており、我々が住んでいた所もそっくり残っていたらしい。
 旅程は、成田(ANA)−大連(東方航空)−長春(鉄道)−ハルピン(東方航空)−大連・旅順−成田の6泊7日であり、特に目指す長春には3泊も出来た。乗り込むまでは、手続き等で時間が掛かったが、離陸すればあっという間に大連に着いてしまい、遠い国だとの認識が崩れた。乗り継ぎ時間を利用して、大連の市内観光を楽しみ、その日の内に大連から長春へ向かった。長春の飛行場は真新しく、土地がたっぷりの為か全てがゆったりと出来ている。到着ロビーでは、元八島小学校、今はこれを更に増設拡大して長春市のナンバースクールになっている現在の第48中学校の先生方が熱烈大歓迎!到着翌日は一日中、当学校の歓迎行事で埋め尽くされた。
 第3日目は長春市内観光だ。主な箇所を観光バスで見た後自由行動になり、それぞれ思い思いの場所に散った。当時の姿はほとんど無く、最新の街に姿を変えていてちょっとがっかり。東北3省の中心に位置し、現在は省都だが、満洲建国当時(大正〜昭和)は伊通河辺の小さな街に過ぎなかった無毛の広大な土地に、当時の若き技術者達が、最新の欧米の都市計画技法を駆使して、理想通りに作り上げたのが、この長春市であると聞いた。あれから100年、先日の冬期アジア大会での、数々の施設の建設や、幹線道路等のインフラ整備の立派さに目を見張る。昔の都市計画が今花開き、整然と点在する超高層のビル郡等には、更にこの都市が大発展する予兆を感じた。宿泊した五つ星ホテルは言うに及ばず、夜こっそり抜け出して行ったクラブも旅情を一層忘れられなくして呉れた。
 当時の南満洲鉄道に乗りハルピンへ。伊藤博文暗殺のホームが当時のままの場所にあり、その場に立って歴史を眺める事が出来たのも収穫だった。国内線で一路大連へ、そして近くの旅順に回る。203高地遺跡や乃木将軍の棗の樹(水師営)もあり観光名所になっている。
 さて、早足にて60年振りに旧満洲を廻って、これから北京オリンピックや上海万国博を控えての彼の地の有様は、東京オリンピックや大阪万博に向かっていた当時の日本を彷彿とさせ、我々も負けては居られないと思った旅であった。