誰もが知っていて、ほとんどが分かっていない話・・・・坪内信朗 なにやら判じものめいているが、環境についての話である。 いまや建築界は耐震偽装問題に揺れているが、時を同じくして世間を騒がせているのが石綿問題である。石綿の吸引が人命に関わること、しかも石綿製品の取扱いに直接関わらない人にも被害が及んでいることが報道され、石綿の怖さを改めて誰もが知ることとなった。石綿問題はかつて欧米で大きく取上げられ、日本でも原則遵守の法令等が制定されている。しかし、それらは自主努力に委ねるものであったために、一般には社会問題としての認識が徐々に遠のいてしまい、結果的に問題を大きくしたにもかかわらず、多くの人には寝耳に水の話であった。石綿障害予防規則等の法整備や、行政指導が行われているが、ほとんどの人にとっては‘何がどのようになっているんだ’という状況である。 また、時を少し遡るとシックハウスに関連しては建築基準法等の改正・施行を機に急速に社会が動き、対応製品が適正価格で入手し易くなって、最高ランク(非含有)製品で設計・施工することが一般化した。しかし、これとても最優先のホルムアルデヒドに係る対応方策は整えられたが、他の物質によるクレームは解消されていない状態である。EUの規制に伴って有害物質を用いない製品作りを推進している自動車業界でも、シックカーについて報道されたのはつい先ごろのことである。 さらに観点を広げると、昨今の気候変動や自然災害と地球温暖化問題の関わりが取沙汰されている。また、日本はCO2排量を6%減らさねばならないことになっているという話は誰もが一度くらいは聞いたことがあるだろう。そのために国は種々の方策を打出している。省エネについて見ると、先進事業者の企業努力が見られる一方で、事業者団体としては反対の意思を示す姿も見うけられる。また、オゾン層破壊防止のための代替フロン(HFC)は、実は削減すべき温暖化6ガスの一つである。したがって、HFCを発泡剤とする断熱材を用いて省エネ化し、CO2排出削減を図っても、経年でHFCが放散すると温室効果が増大してしまう。然るに、このことを考慮してノンフロン断熱材を用いた建物はいまだ少ない。 環境問題は今や‘子孫のためにできるだけ’から‘子らのためにしなければ’というほど逼迫している。なのに、それらを回避する術を残念ながら、かくいう私も含めて、ほとんどが分かっていない(認識していない)ことを憂慮したいものである。 方言 について思うこと・・・・・小野口弘美 中越地震以降、メディアで新潟弁を耳にすることが多くなりましたが、私の田舎も下越にかぎりなく近い中越地方、とてもなじみ深く耳にしていました。年輩の方の方言は私もわからないこともありますが、だいたいの内容は察しがつきます。新潟弁は濁点がついて濁ることはないのですが、独特ののばした感じがあります。語尾に「〜らね〜。」とか、「〜らの〜?」とか、なぜか語尾がラ行やナ行がはいります。 最近どう?というのも新潟では「最近なじ(何事)らね〜?」となるわけで、もちろん言い方がまったく変わる語録も多々あります。のんびり、を「じょんのび」、とか、ものすごい、を「がっと」(これは下越寄りのことばですね)とか。イントネーションもちがいます。たまご、いちご、うしろなどは、標準語だと、た(→)ま(↑)ご(↓)ですが、新潟だと、た(→)ま(↓)ご(↓)、というようにどんどん音が低くなります。私も普段は標準語のつもりなのですが、こういうちょっとしたイントネーションは変わることはないようです。 新潟弁にかぎらず、九州や高知、広島、名古屋、秋田弁など、聞いていても暖かみがあって、なごみますね。小さい子供の関西弁など、特にかわいいと思います。 若い頃勤めた会社は本社が和歌山で、東京支店の営業マンはほとんど和歌山県人、どっぷり関西弁の中で仕事をしていました。和歌山弁なまりの営業は、関東では意外に受けがいいというか、印象良くとらえられていたように思うし、私もへまをして支店長に「あほちゃうか〜、ちょんぼ、あかんで〜」などとしかられても、あまり堪えることもなかった覚えがあります。 たまたま東京弁が標準として設定されただけで、新潟弁が標準語になっていたとしたら、それはもう、のんびり、まったりした世の中になっていて、そんな世の中も平和そうだな〜と想像したりします。 方言の文化は、この先もなくなることは無いと思うし、逆になまりが個性と認識されて恥ずかしいと感じることもなくなるような時代になってきているとうれしいですね。 |