空白だった中間規模社会の活性化 ・・・・・安孫子義彦
- かつて、地域冷暖房の分野で仕事をしていたとき、地域冷暖房が成立する社会の単位について考えたことがあった。日本という国家の単位、地方自治体の単位、市や区の行政単位、ここまではその社会単位を運営する主体が明確であるが、そのあと一気に跳んで、建物の単位、住戸の単位、個人の単位と小さくなる。行政から建物の単位までを中継ぎする中間的規模の社会領域が不明瞭で主体がないことに気づいた。この領域のことを、当時「中間規模社会」と定義して原稿に書いた覚えがある。地域冷暖房システムの普及がなかなか進まないのは、この中間規模社会をターゲットとにせざるを得ない事業であることから、運営主体が形成されにくいところに遠因があると主張した。
この中間規模社会は、行政的にも、法律的にも、制度的にも、経済的にも認知されにくく、いわばきわめて不安定な未整備領域社会である。これは、日本の社会が中央集権構造を前提に形成され、行政権益と個人権益に原則2分された区割論理から領域が構成されてきたことによると思っている。ヨーロッパ社会が、行政権益と個人権益との間に中継ぎのコミュニティ権益の存在を許容しながら成長してきたのとは大きく異なる点でもある。ヨーロッパ社会では共同利用設備として矛盾無く成長した地域冷暖房(もっとも寒いお国柄であることから地域暖房であるが)であったが、わが国では、これを受入れ支える共同社会の存在が極めて希薄であったため、無理やり事業成立させようとしたところに限界があった。そんなわけで大都市の業務中心地では成功した地域冷暖房も、住宅団地や既成市街地では自然発生的成長はほとんど見られていないのが現状だ。
しかし、ここにきて団地再生の街区の領域、SI理論の中で影の薄いティシュの領域、はたまた公園や緑地などのヒートアイランド対策の領域、自然保護や地域コミュニティの領域、街づくりの領域など、これらはいずれも今まで主体が曖昧だったために、長いこと概念の空白におかれた中間規模社会に起因する問題提起である。このように既成の社会単位では踏み込めない中間規模社会の活性化こそ、いま最も強い関心が集まってきているところといえる。中でも水やネルギーシステムに誘引されるテクノロジー群に、この社会活性化の鍵があるのではと密かな期待をもっている。
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「無言舘」に想う・・・・・下田邦雄
- ここ数年来,古代史に関心を寄せているが,其の研究会のツアーで中国東北部を訪問し,其の途次,瀋陽で復元された古代住居を見た.約7000年前の半地穴式建築と称され,日本の竪穴住居と類似形であるが,印象は大いに異なっていた.それらは起伏のある林の一角に,埋もれる様に復元してあったのだが,室内を見て,「起伏のある土地に生活のための水平平面を作り出すために,必要部分を切り下げ,周囲からの水,土砂の流入を防ぐために周壁をめぐらせている」ということがよく理解できた.柱穴は日本のものとほぼ同じ配列だが,上部構造は中央の4本柱はそのまま円形の屋根から突き出ており,それに陣笠形の屋根が載せてあるので,換気用の隙間が四周を廻っている.モンゴルの包(パオ),更には同日に見た瀋陽故宮の大政殿,更には法隆寺夢殿に連なるモンゴル系の形態かと想像され,森の中の住まいとして自然に逆らわず,素朴に作られているという印象が強かった.
もし,通説がいうように縄文人が古モンゴリアンの渡来によるものとすれば,日本の縄文人住居もこのようなモンゴル系のものだったのではないだろうか.
日本で復元された古代住居の多くは入母屋式の屋根になっており,これは原始絵画,家屋文鏡,多く出土している家形埴輪などの遺物から類推されたものと思われる.弥生文化の代表的要素である稲作と高床式住居については,米は江南地方から北上して半島から渡来したとの説が強力だが,高床式住居が半島経由でもたらされたとは考えにくく,やはり稲作と共に,高床式掘立住居を住まいとする人々の直接の渡来があったと考えたほうが分かりやすい.
いずれにせよ,入母屋屋根は南方系のものである.となると,日本の復元住居は縄文の土間を弥生の屋根が覆っているということにならないか.
「物の伝播は交易のみでも起こるが,生活習慣的なものの伝播には必ず人の移動がある」と言う私の基本的な考え方からの推論である.
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