職業人のモラール ・・・・・蟹沢宏剛

  数年前まで、「貧乏脱出大作戦」というTV番組があった。お客が全く入らず破綻寸前の経営者が、同業の大繁盛店で“修行”し、自店を再建するというものである。時々、抜き打ち検査と称して、放映後の状態を追跡する企画があるが、数年を経て行列の絶えない繁盛店としての地位を確立している店も少なからずある。
 番組に取り上げられる店は飲食店が多い。貧乏店の共通点は、汚く覇気がないことである。また、メニューは冷凍食品等を用いた手抜きだ。そして、“修行”は皿洗い、接客といった基礎から始め、最後に看板メニューを教えてもらうというストーリーである。しかし、修行の期間は、概ね1週間程度でしかない。1週間程度で料理の腕が劇的に上達するはずはないのであるが、そこが、この番組のミソだったのだと思う。
 番組に応募するのは、多くの場合、家族や友人であるが、当の本人は最初全くやる気がない。修行先で皿洗いや掃除を命じられると、「何で俺が・・・」という態度で、大概が親方に怒鳴りつけられるというパターンで始まる。そして、言い訳ばかりで反省しないところも共通点である。
 それが、数日後には確実に変わる。画面を通しても、はっきりわかるくらいに生きた目になる。きっかけは、親方に連れていかれた武道の稽古や水行だったりするが、何よりも、本人、そして家族を真剣に心配する親方の気持ちが通じるからであろう。そうした親方は、(大繁盛店になっても)料理人として現場に立っている人である。だから料理の手本も自らがやってみせる。夜中まで付き合うこともあるし、店を臨時休業することさえある。
 そう、出場者の多くは、元来プロの腕を持っているのである。それを、駆使する職人としての精神、すなわちモラールが欠如していたのである。だから、1週間程度の“修行”で見違えるように変わることができる。これが、料理のレシピをマニュアル化して教えるだけだったり、スーツを着た経営者が、社員に修行を丸投げということでは決してうまくいかなかったであろう。
 今回こんな話を思い出したきっかけは、JR西日本の社長や幹部の記者会見である。言い訳を繰り返す彼らの目は、正に「何で俺が・・・」であったからだ。用意された原稿を読み上げるだけで、現場へ行って自らの目で確かめようともしない幹部。事故車に乗り合わせていながら、救助活動もせずに“定時”に出勤することを選んだ社員、当日、“予定通り”に宴会をおこなう幹部と社員。100名を越える犠牲者という未曾有の大惨事となった脱線転覆事故の一要因が、こんな企業風土と社員のモラールの欠如にあるのは間違えあるまい。

復元竪穴住居への異論・・・・・伊藤誠三

 ここ数年来,古代史に関心を寄せているが,其の研究会のツアーで中国東北部を訪問し,其の途次,瀋陽で復元された古代住居を見た.約7000年前の半地穴式建築と称され,日本の竪穴住居と類似形であるが,印象は大いに異なっていた.それらは起伏のある林の一角に,埋もれる様に復元してあったのだが,室内を見て,「起伏のある土地に生活のための水平平面を作り出すために,必要部分を切り下げ,周囲からの水,土砂の流入を防ぐために周壁をめぐらせている」ということがよく理解できた.柱穴は日本のものとほぼ同じ配列だが,上部構造は中央の4本柱はそのまま円形の屋根から突き出ており,それに陣笠形の屋根が載せてあるので,換気用の隙間が四周を廻っている.モンゴルの包(パオ),更には同日に見た瀋陽故宮の大政殿,更には法隆寺夢殿に連なるモンゴル系の形態かと想像され,森の中の住まいとして自然に逆らわず,素朴に作られているという印象が強かった.
 もし,通説がいうように縄文人が古モンゴリアンの渡来によるものとすれば,日本の縄文人住居もこのようなモンゴル系のものだったのではないだろうか.
 日本で復元された古代住居の多くは入母屋式の屋根になっており,これは原始絵画,家屋文鏡,多く出土している家形埴輪などの遺物から類推されたものと思われる.弥生文化の代表的要素である稲作と高床式住居については,米は江南地方から北上して半島から渡来したとの説が強力だが,高床式住居が半島経由でもたらされたとは考えにくく,やはり稲作と共に,高床式掘立住居を住まいとする人々の直接の渡来があったと考えたほうが分かりやすい.
 いずれにせよ,入母屋屋根は南方系のものである.となると,日本の復元住居は縄文の土間を弥生の屋根が覆っているということにならないか.
 「物の伝播は交易のみでも起こるが,生活習慣的なものの伝播には必ず人の移動がある」と言う私の基本的な考え方からの推論である.