観・想・考17

里山にて・・・・鈴木偉之
 つれづれなるとりとめのないことを書き、恥じをかくこととします。たしかインドの思想だったと思いますが、人の生き方を四つの時期に分けた四住期という考えがあります。この考え方に当てはめますと、私ははや四期目の林住期に当たるのかも知れないと思ったりします。私は大学卒業すると日本原子力研究所に入り、37年余を原子力研究施設の建設に携わってきました。それまでの間はまさに遮二無二学び、働き、養育にと三住期までを過ごしたことになります。そして退職し数年の後、この3月についに住まいを変えて「林住」することになりました。住み慣れた水戸市内の住まいを清算して筑波山の麓に近い八郷という地、山里に民家が点在のところに小さな木造家屋を設け晴耕雨読、時折ボランテア活動をと考えたのです。これまでサーツ会員ながらなかなか皆様方と触れ合う機会を失してきたものですから、この度の当欄への寄稿要請にはびっくりしました。さて、話は戻しまして私は人生のこの期になにをなすかなどと難しい事を考えたわけでありません。今はまだ関連した仕事をおこなう会社に身を置く、いわば執行猶予といったところです。でも身を置く以上は一生懸命に働いてます。しかし、公休日はべつです。晴れれば百姓姿になり、土を耕し果樹をいじり野菜類を育て、筑波、足尾、加波、難台、吾国の山々を見上げ、茶をすすり収穫に思いを寄せるといったとりとめのない生活に入りつつあります。こんな折、ふと地名は如何にと考えたのです。八郷とは、羽咋(最近訪ねた志賀原発がある町)は等々、そうすると建物の立つ地盤、土地地名との相関とか、また古来からの地名の由来を思うとロマンをかき立てるものがあることに気付き思いをめぐらし、ゆっくり楽しみながら調べていこうとしているところです。一方、社会構造の変革の流れは早く、平成の町村大合併が動き出している。残念ですが味気ない地名が表示され、いわれある地名はどんどん消えようとしていますが。こんな心にうつりゆくよしなしことを書き、ほんとにお粗末、でした。サーツに身を置き頑張っている先輩諸氏のみなさまからは「林住」ならぬ「臨終」の退場をせまられそうです。でも、もう少し百姓建築技術者としても頑張っていく所存です。

検査の危機・・・・・安藤純二
 りそなの国有化が決まりました、その直前に朝日監査法人の担当者が飛び降り自殺しました。狂牛病の時も北海道の医者が狂牛病の判定に苦慮して自殺致しました。原子力発電所でも検査結果の隠蔽がおこなわれ発覚して現在原子力発電所は止まっており夏場に向けて電力不足停電の危機に瀕しています。監査法人の件は説明するまでもないのですが大きく捕らえれば監査法人の担当者に日本経済の命運が握られていることにもなっていたのです。
 北海道の医者の苦悩は狂牛病の判定が出るとその牧場の牛全体が疑われて牧場自身が成り立たなくなり地域の牧場も成り立たなくなる恐れがあったのです。
 検査、調査、監査いずれもその結果如何での問題が大きくそれに伴い責任が大きすぎるのです。
 その大きな責任を個人に負わせてしまっている事に問題があります。
 建築の検査にしても工事に大きなミスがあれば建物の安全に大きな影響があります。
 検査に出向いて大きなミスを検出しますと工程にもコストにも大きな影響が出ます。その時設計事務所、建設会社の担当者によって判断が変わります。
 現在の建物は大きくなり、形も難しくなり、難しい材料、工法を使いなお工期も短縮されています。
 不合格が出たとき又それが取り返しつかないぐらい大きな問題となった時が担当者の苦悩の始まりです。
 既存の建物でも同じ事が言えます例えば耐震診断でも元施工の会社が調査を行えばイロイロな資料はそろっているかもしれませんが大きな手抜きが見つかった時はその調査を行っている部署の担当者は苦労します。
 技術者だけで問題が解決できません検査,監査の結果が世の中の安全に寄与しているのですがその人達の立場を護る環境が整備されていません。
 少なくても建築の検査、調査は製作者(施主、設計、建設会社)から離れた立場でおこなえるようにしなければ検査の信頼性は保つ事は出来ません。