観・想・考16

小さな政府とPFI・・・・石井嘉昭
  インハウスの技術者として公共建築の建設に従事してきた者として、昨今の政府の行財政改革には目をみはるものがあります。航空機事故で扇大臣がコメントをしているのを見て、建設省はなくなり国土交通省になった事を実感する次第です。「小さな政府」を目指し、省庁再編、独立行政法人化、特殊法人の民営化などが実施されていますが、公共事業費の削減で建設業界は大きな打撃を受けています。霞ヶ関官庁街の中央合同庁舎第2号館(旧人事院ビル)の建替えも終わり、残された文部省、財務省、農林水産省の建替えが、財政事情の逼迫から先送りにされていました。平成13年に「都市再生プロジェクト」として中央合同庁舎第7号館(文部科学省、会計検査院の建替え)がPFI事業として選定され、民間事業者の選定作業が進行中です。
 公共施設等の建設、維持管理、運営等を民間の資金、経営能力や技術的能力を活用して行うPFI事業が目白押しです。昨年の暮れに国のPFI事業の第一号として公務員宿舎整備事業が契約されました。財務省のホームページによれば、予定価格より17~27%、低い金額で落札されています。民に任せせる事で、17~27%のVFM(Value For Money)があったとしています。
 PFI事業者はなぜこのような低い価格で落札できるのか。性能発注で、しかも官と民のリスク分担が明確になっているため設計・施工の段階から管理運営を見定めた事業を展開できる。また建設・運営・維持管理などを手がける異業種の企業が協働して応札するためより公正な競争原理が働くからです。とは言いながら、結果として建設業界の価格競争に拍車を掛けていそうな気がしてなりません。なぜか箱物ばかりが目立ち、PFI推進法で定められている道路、鉄道、港湾、空港、河川などの公共施設にはいまだに実施例がありません。国民の税金をより効率的かつ効果的に使い国民に質の高いサービスを提供できることをPFIの理念とするならば、もっと土木系PFI事業の計画があるべきでしょう。


架空本・題名は「すむ」・・・・・鎌田宜夫
 「すむ」という題名の本を書きたいと思っている。そう思ってから既に5年近くになる。しかし、未だに内容がない。恥ずかしい話だが、「住宅」という名のついた職業について早くも40年になるがこの様である。サーツでもそうだが建築学会等でも「おまえの専門分野は何か」と聞かれることがある。一応「住宅計画・住宅生産」と答えることにしている。
 このところ、特にそう思うのだが、住宅計画とか住宅生産というと「計画」や「生産」の方に力点が置かれ、「住宅」については与件として軽く扱ってきたのではないか。確かに住宅建設5ヵ年計画では、各期の住居水準として住戸面積や設備の有無等を決めている。しかし、これはあくまでもモノとしての住宅の一側面でしかない。生活の器であり街なみを形成する住宅そのものについて、どれだけ考えてきたか。
 ところで、気の向くままに本屋などに行っては、「すむ」と言う題名の本を探してみている。私の知っている限りでは、今のところひらがなの「すむ」という木はない。漢字の「住む」という本は3冊見つけた。私の気に入っている本「住む」は、20年以上前に平凡社から出版されたものだ。谷川俊太郎の責任編集で、石牟礼道子や原広司などが自由奔放に住むことについて語っている。とくに石牟礼道子の「住むというからには人間のことだろうなと、念押ししながら考えます。」という言葉から始まる文章は、土着の暮らしの中からの実感を生々しく表現しているので迫力がある。2冊目は、高校の地理の副読本であり、3冊目は最近季刊で出版された雑誌の題名である。
 最近気づいたのだが「すむ」ということを、最も豊かに表現している言葉は「暮らす」と言うことではないか、と。「暮らす」という言葉には人と住宅の関わりのみならず近隣との関わりも含まれているように感じられる。「暮らしむき」となるとその家に住んでいる家族の生活のにおいまで想像させる。どなたか一緒に「すむ」ということを楽しく語り合いませんか。

 30年もたつと何とも思はない。慣れとは恐ろしいものである。