観・想・考14

「夢を見る能力」・・・・・古川興一
 トップブランドが次々に奈落に落ちていく。企業のリストラもとどまるところを知らない。失業率は高く、自殺者も年間三万人を超える――。本当に夢も希望もない時代、との嘆きが聞こえるのも当然か。
 しかし、こんなときだから″夢を見る能力″を磨かなくては――とある人から言われた。夢を見るのに能力が必要なのか、と瞬間は思ったが、説明を聞いて納得した。
 夢を見る能力というのは、現実に対する認識と未来に向けてのビジョン――その差が夢を見る能力になるというのだ。
 たしかに夢は空想ではない。現実から遊離したものでもない。足元の現実をしかり見つめた上で、未来に焦点を当てることで、夢はより見やすくなり、正夢の可能性も持つ。いくら、ああしたい、こうしたい、と思っても、足元の土台が揺らいでいたら、現実感のない夢想になってしまう。まさに、夢を見るには能力が必要なのである。
 夢を見れなくなったら人間としてこんなに淋しいことはない。胸のときめきや感動をも捨て去ったことになる。
 嫌なニュースが続く一方で、それまで不可能と思われたことが次々に実現していく技術革新の明るい話題も少なくない。夢を見る能力を持つ人がたくさんいるということだろう。サーツも会員を増やし、事業活動を活発化させている。実績と実力を基盤にしての夢を見る能力を持つ人たちの集団であることの何よりの証拠だと思う。


「幻の紅花」 ・・・・・ 村岡 暹
 人は何故、花に魅せられるのか。平家落人の里 五家荘は九州山脈の最深部、今なお秘境のおもかげをとどめている。この一帯の山々は、高山の花に恵まれており、石楠花、あけぼの躑躅、をはじめ、黄蓮華しょうま、山芍薬、等めずらしい草花も見ることができる。そのなかで、五月中旬に咲く、真っ白い山芍薬はことのほか清楚な気品に溢れ、原生林の中で、この花に出会うと、なぜこんな美しい花が深山に、人知れず咲くのか、不思議な感慨に打たれる。この白い花に、ごく稀に紅色の突然変異種が現れるという。
 今年の春、インターネット上で、偶然、紅色の山芍薬の写真を見た。五家荘の白鳥山村付近で撮られたものであった。白鳥山の山名は、平重盛が所持していた〈白鳥毛之鑓〉を、三男の平清経が受け継ぎ、この山に住み着いたといういわれから、とされている。
 白鳥山の山芍薬は満開であった。原生林の木漏れ日の中に、白く咲き乱れていた。通りかかった登山パーティーの最後尾のリーダーらしい女性に声を掛けた、−−−紅色の花を見掛けましたか?−−−彼女は問いを待っていた様に答えた。5年程前グループの一人が、紅花を見掛け写真を撮りました、ついそこの斜面です、毎年この時期に必ず探しにきていますが、今年もこんなに見事に咲いているのに、紅花はありませんでした。
 平家の落人は、なぜここを終の住処としたのか、花を愛で安らぐ心は存続し生存できる環境の指標として、深く我々の遺伝子に、刻み込まれているのではないか。
(写真:満開の山芍薬 平成14年5月12日撮影 白鳥山にて)