観・想・考12

「ちょっと名前の話」 ・・・・・ 栗田紀之
 最近ありがたいことに、地方の物産が入手しやすくなっているようである。讃岐の生うどんや越後のかんずりなんかもたまに見かけるし、九州の柚子胡椒なんかどこでも売っている。わがなじみのあるところでいうと、宇和島や八幡浜のじゃこ天も産地直送されている。しかし、昔はじゃこ天などと呼称していた覚えはない。天ぷらと呼んでいた。市場が変われば呼び名も変わるということか、この頃では地元でもじゃこ天とパッケージされている。これを薩摩揚げのようなものだと説明する人がいるがとんでもない。広辞苑で天麩羅を引くと「上方で、薩摩揚げの称。」とあるのも気にくわない。だいたい薩摩では付け揚げであるが、昨今どんなものだろう。そういえば、わが地元では、普通のネギを東京ネギと称して売っているとも聞いた。
 建築や建材の世界も同じこと。長州風呂は、長州では通じない。ドイツ下見だって、煉瓦の○○積みだって、似たようなものだろう。ちょっと注意が要るのがベイツガにベイヒバ。ベイは米国のベイだが、もちろん現地名American○○ではない。問題は、ツガ、ヒバと勝手にベイが省略されることで、そのまま仕様書に書かれることもままある。栂普請なんか今や幻だから、暗黙の了解でおかしなことにはならないのだろうが…。ベイヒバは青森でも結構使うそうだから、ヒバといったら当然地元産。スレート、リシン、スタッコに天然を付けないと通じなくなったのも少し悲しい話である。


「進まない耐震補強工事」・・・・・津田勝弘
 平成7年1月の兵庫県南部地震では、ご承知の通り、6,400名余の犠牲者を出した。残念ながら犠牲者の多くは木造住宅の倒壊による圧死者である。自治体の救援対策で「住まい」と云う点では、避難所から仮設住宅そして被災者住宅への入居へと移って云った。しかしその過程で今まで培った地域社会は壊され、日常会話も笑い声や笑顔も失ってしまった。弱者救済と云うことで高齢者ばかりが入居している集合住宅もある。
 日本は地震大国である。話題になっている東海地震だけで無く全国何処でも何時でも起きる可能性がある。私は地震防災建物安全協同組合の代表理事として話をさせて頂く時は、震災を濁ってジンサイと読んでいる。震災から7年余を経過し世間の関心も希薄になっている。先の阪神淡路大震災の尊い犠牲者の無念を再び味わう事の無いよう耐震補強工事の大切さと実施をお願いしている。
 地震は避けられないし、現時点では予知も難しい。それなら地震の被害、せめて人命を失う事の無いよう自己責任である住宅の倒壊を防がなければならない。再び震災で多くの犠牲者が出れば建築を生業としている我々にとって流行の言葉で云えば「不作為の罪」を犯す事になる。
 都市再生が政策的にも進められようとしている現在、このチャンスを活かす方法はないだろうか。耐震工事が普及するような、工事が安易で工事費も安く、耐震効果が大きい工法の開発を目指している昨今ですが、良い案があれば是非、ご教授願いたいと思っています。

  「50年モデル」・・・・・前田親範
 昨年定年を迎え、退職金の半分を使って、築30年のわが家をリフォームすることにしました。残りの半分は老後の蓄えにと思うし、私にとっては「人生最後の大事業」となります。
 内装の一部を剥がすと、30年前の鉄骨が現れてきます。「以外と錆びていないな」の感想、しかし継ぎ手のSPLとHTBは「ケレンとタッチアップが必要か」と思う。スラブはキーストンプレートにシンダーコンクリート打、30年前の鋸屑などが残っており以外と綺麗です。軸部の木部は水の廻ったサッシ廻りと出窓の下を除いて、これまた綺麗。鉄骨と木造の構造軸部は30年ぐらいではまだまだと実感しました。
 これに比べて、外装廻りは10年毎にメンテしているのにもかかわらず、木造の鼻隠し、軒裏、塩ビの雨樋、モルタルに吹き付け塗装の外装は可成りの劣化です。内外装での材料と工法の選択をモデル化すれば、住宅は50年ぐらいは住めるものと実感しました。
 そこで、リフォームのコンセプトを「メンテ無しで、残りの20年は快適に住める家」とし、プランニングを一級建築士にお願いしました。仕上がりには、まあまあ満足しています。50年モデルには、材料や工法の選択のほか、地域環境や家族構成の変化、設備機器の取り替えや収納スペースの増大、高齢化などの対応が必要になります。わが家も結局のところ、30年で一世代分の変化に対応し、残り20年の高齢化へどう立ち向かうかが課題となります。ある程度の準備と覚悟はしているものの、モデルのない部分で不安も残ります。