「先達の役割(非典型雇用に対する建設産業の役割)」
   ・・・・ものつくり大学建設技能工芸学科 蟹澤宏剛

 最近、外食産業が元気というニュースをよく耳にする。狂牛病、安値競争などの負の要因を乗り越えて、これから株式市場に上場するというものも多い。回転寿司、ラーメン、讃岐うどんなどの「和風ファーストフード」チェーンの展開、焼肉、居酒屋などでは高級路線への多角化も進んでいるという。閉塞感の強い日本経済であるが、若い経営者が新風を吹き込むものとして、また、ハイテク産業だけでなく、旧来から存在する産業にもチャンスが眠っているということで注目に値する。
 しかし、こうしたビジネスのモデルには気になる点がある。それは、「正社員」を極力減らすことにより、経営を効率化するというものだ。多くが、正社員比率1割程度だという。残りは、いわゆるフリーター等で賄うのであろう。会社本体の固定費、中でも法定福利費などの負担が大きい正社員を削減することで利益を確保することが、成功の秘訣のようである。正社員を「派遣」に置き換えるのも同様であろう。
 いうまでもなく建設産業は、このビジネスモデルの先達である。実感としてもそうであるし、各種の統計データからも「元請」の従業者は産業全体の約1割、残りは「下請」という実態が読み取れる。それでは、「下請」の世界はどうか。1次下請に位置づく比較的大手の専門工事業を調査してみると、「社員」は全体の1割、「直用」などと呼ばれる社員に近い処遇の「技能者」が1割強、すなわち企業と「常用」的な関係にある人は3割に満たないのが一般的なモデルのようである。バブル崩壊以降、社会保険料徴収の強化などの動きもあって、専門工事業は直用の技能者を極力減らす傾向にある。
 では、同様のモデルであるにもかかわらず、なぜ建設産業は元気にならないのか。それは、外食産業は、通常であれば技能や経験を要する部分を機械に置き換える努力とそれに対する投資もしている一方で、空白の10年という言葉に象徴されるように建設産業は何もしてこなかったからではないか。もちろん、建設の技能は単純ではない。全てを機械とフリーターに任せることは不可能だ。しかし、技術開発や設備に投資しないのであれば、人材の育成など別の何かに投資する必要があるのではないか。何もしないで発展の余地はあろうか。
 バブル期には、技能者の社員化・直用化ということがもてはやされた。行政や元請もそれを推奨していた。事実、その頃に設立された専門工事業の事業所内訓練校は多い。手間とお金をかけて育てた卒業生は、その会社の社員あるいは直用となる(正確には入学時から)。しかし、今も当時の活動を継続しているところは少ない。その主な理由は、教育・訓練を放棄したからではない。大半は、入学者、すなわち社員・直用を採用する余裕がなくなっているからである。倒産により、自ずと廃校になった例も少なくない。
 人を育てることの受益者は誰か。専門工事業もボランティアで投資してきたわけではなかろう。しかし、技能者を雇用しなくても、技能に裏付けられた信頼や品質を得ることができた発注者や設計者、元請はどうか。また、様々な資格や顕彰制度を設けながらも、処遇との整合を図ってこなかった行政の責任はどうか。技能者の問題は、専門工事業にのみ帰結するものではなかろう。
 雇用の流動化が進み、派遣労働、在宅勤務、パートタイムなど就労形態も多様化している。「正社員」と異なるこれらの労働形態を「非典型雇用」などと呼ぶが、その導入目的は、人を雇用するのに伴う経費の軽減であり、景気変動に応じた柔軟な雇用の調整にある。しかし、よく考えてみると、本来、「非典型」にも必ず雇用主が存在するはずであり、経費が全く消滅することはあり得ないはずである。それが、あたかも無であるかのように扱われ、事実、事業主負担が発生しないよう「偽装請負」、「一人親方」などの扱いを受ける例が数多く存在しているという。これが、現状の非典型雇用の矛盾点であり、建設産業が放置あるいは回避しつづけてきた問題と一致する。
 年金保険料の不払い、未加入、年金基金の解散などに象徴されるように、特定の組織に終身雇用されることを前提とした日本の社会保証システムが崩壊しつつある。こうした諸問題に対して、全産業の模範となるような策を示せるのは建設産業以外にないであろう。なにしろ、戦前、戦後一貫して非典型雇用を活用してきた「先達」なのだから。