「対機械感覚」・・・・ 伊藤誠三

六本木ヒルズの自動回転扉で起きた子供の死亡事故をきっかけに、ほとんどのビルの回転扉が使用を停止している。「羹に懲りて膾を吹く」の気がしないでもない。新聞紙上では、ビル所有者、管理者、メーカーそれぞれの弁明のみが繰り返され、結局は、自動扉の安全規定がなかったと、法整備の問題となって、関連法規の規定、改正に問題が移る気配だ。メーカーに対するPL法による調査とか、その機構を建物に採用した設計者の設計責任の話も聞かれなかったし、子供に対する親の保護責任という事も話題に上らなかった。今や新聞紙上では忘れられたようになっているが、どうなっているのだろうか。
その事故とほぼ同時期に、三菱ふそうの車両事故の顛末がいろいろ報告され、更に、公園遊具の事故、ロープウエイの事故などが相次いで新聞紙上で報道された。これらの記事を読みながら、どうも、我々は「機械を扱いかねている」と思わないではいられなかった。
考えてみると、明治維新以降、多くの機械が相次いで輸入されたが、その殆どは完成品として輸入され、発明された当初の原初的な知識,感覚を知らずにきたのではなかったか。遠く仏教の伝来時、一般人は原理的な仏教哲学を学ぶというわけではなく、現世利益のみを求めて信仰が広まったというのに似ているのかもしれない。
もう30年近くも前の事になるが、パリの古いホテルで、手動式のエレベーターに乗ったことがある。
ボーイが客を荷物と共に部屋に案内するのに使っていたが、空いている時に試させてもらった。自分でドアを開閉し、かごの隅にあるロープを引き降ろして、篭を引き上げてゆくのである。ずいぶん緊張したが、単純な手順だし、何しろ、自分の力の範囲なので安心とも言えた。
その頃、ブリュッセル市内のアパートに住んでいたのだが、そのエレベーターの内篭には扉がなかった。つまり、昇降のたびに目の前を扉側の壁が高速で上下に走るのである。幼児連れの場合、親が股間に子供を挟みこんで動かないようにしていたし、子供も固唾を呑んで親にしがみついていた。危険だと乗らない人もいたようだ。
ロンドン郊外にいたときには面白い経験をした。いろんな形式の乗り物が今も動いていて、それと博物館に保存されているものと合わせ、殆どの乗り物の発達史を実感できたのだが、実際に体験したものの一つに初期のコンパートメント車両がある。6〜8人用の函が直列につながっていて、車両には廊下がなく、外扉がそれぞれについている。例えれば、乗合馬車が連なっている形だ。乗るときは空いているコンパートメントを外からのぞきこんで探し、自分で扉を開けて乗り込み、施錠する。すべての扉が施錠されて発車する。どこかで施錠されないと、車掌が外から一つ一つ点検に来るので発車が遅れる。言い換えれば、一乗客の不注意が全体に迷惑をかけるのである。
機械ではないが、昨年起こった琵琶湖でのヨット沈没事故の原因を、NHKが水槽実験の結果として、船体の安全性の盲点として報道していた。事故の再現映像で気が付いた事は、ヨットの経験者ならすぐ分かる事であるが、転倒の主因は操舵、操帆ミスによるワイルドジャイブであろうと思うのだが、其の事を付言するコメントはなかった。事故の原因を人因ではなく、機械、道具の所為にする考えが根本にあるように思われた。
タクシーの扉が自動的に開くのは日本だけだ。便利のようであるが、運転手にとって好都合なだけで、乗客は手荷物の出し入れもすべて自分でやらねばならない。 殆どの外国のタクシーは運転手が降りてきて、乗降の手助けをし、荷物の積み降ろしもやってくれる。それがサービスで、人の心が含まれており、チップも払いたくなる。日本のタクシーは自動扉の採用で、運転手の手間を省略し、サービスの心も捨ててしまったのだろう。 機械に翻弄される社会を描いたチャップリンの「モダンタイムス」が作られたのはもう半世紀以上も前の事であるが、日本は未だ、其の渦中にあるのだろう。今、撮れば、自動扉に挟まれて身動きが取れない悲しい姿が映るのかもしれない。
 英国の産業革命以後、各方面の機械の発達途上でいろんなことがあったに違いない。我々はそれらの原初的事情を殆ど知らないが、機械の発達とともに、その性能、安全の確認、取扱い、トラブルの対処法などの基本感覚が育っていったものと思う。日本では何か起こると、同種の件の外国事情を照会、調査する事が常である。
 輸入しているものは機械ばかりではない。法や官の制度、税制等の仕組みから技術、文化の隅々まで、輸入された文物には同様のことが言えるのではないか。
 事故の話に戻ると、対処的措置もさりながら、基礎的な学習による対機械感覚の涵養が必要なのではないだろうか。