- ほぼ25年前になるが、ある朝、構造部門の課長会で、「海外工事の設計がある。誰かやらないか」と部長代理が基本計画図を広げながら切り出した。それがスリランカの国会議事堂であった。図面を一通り見て「私のところでやりましょう」と申し出た。
日頃、本格的な海外工事を担当して、経験の上積みをしたいと思っていたのと、若い人たちに自信を持たせる効果があるのではと感じたからである。他の課からの申し出もなく、最終的に私の課で行うことに決まった。国会議事堂と言えば、一国に一つしかない建物である。やるなら、これ以上の仕事はないと思った。
スリランカはインドの東側にある水滴のような島国で、人口は2,000万人弱である。現在、多数派のシンハリ人と少数派のタミール人が対立し、内戦が起こったりしているが、ダイヤモンド以外のすべての宝石が出るとかで、当時は、女性憧れの国と言われていた。
国会議事堂は首都コロンボから近郊のコッテ村への移転で、湿地帯を浚渫した人工湖の中の島への建設である。基本設計は、政府指名の建築家MR.BAWAによって行われた。スリランカの古都キャンディーの仏歯寺(two teeth temple)がモデルとのことである。
最初は、国際入札だったが、1982年の独立記念日までに竣工という工期的な問題ならびに、大阪万博でMR.BAWA設計のセイロン館を三井が手掛けた関係などから、実施設計および施工を特命で受けることになったと聞いている。
最初の現地出張では、日本の帝国ホテルに匹敵すると言われるコロンボのゴルフェイスホテルのキングズ・エンペラーズスィートという部屋に泊まった。ベッドは天蓋付だった。部屋に「ヒルトンより歴史が古い」と書かれた冊子が置いてあった。確か、創業が1890年代だったと記憶している。昭和天皇が皇太子時代にコロンボをご訪問されている。多分、その部屋に泊まったのではと想像したりしていた。
当時、スリランカには建築の法規類がなく、構造はBS(British Standard)コードでの設計となった。まず、資料や文献探しから始まった。学生時代の先輩や友人などを頼って探し回ったのを覚えている。地震がないため、鉛直荷重と風荷重での設計であり、構造設計そのものは、それほどの問題はなかった。ただ、仕様書などの作成もあり、工期的にかなりハードな作業だった。
現地への出張は3回、延べで60日ぐらいであったが、海外工事での構造設計者の権威の偉大さとか、仕様書の言葉一つ一つが如何に重要かなど、多くを学び取ることが出来た。
|
MR.BAWAの事務所のスタッフ
湖の中の島に建つ国会議事堂
(正式名称:Parliamentary Complex at Sri Jayewardenepura)
最初に宿泊したゴルフェィスホテル
ホテルの天蓋付きベッド
ホテルの窓から眺めた風景
|