- 「確認することの重要性」・・・・・細川洋治
1.はじめに
サーツ会員になって一年以上も過ぎてから、「技術の伝承」を行うことについて改めて考え、今頃になってやっと、「自分には伝承できる技術は何もない」ということに気がついた。しかし、私の生涯のテーマは、「みんなが安心して使える建築を完成させ、社会に貢献する」ことと昔から決めているので、「安心」を色々な形で何とか伝えないといけないと思っている。
ここでは、「安心」を守った一つの事例として、長野オリンピック開・閉会式会場となった、世界でも類のない本格的な仮設スタンドの計画から完成までを辿ってみたい。
- 2.長野オリンピック仮設スタンド
長野オリンピック開催のことは、まったく他人事の様に考えていて、自分の会社が関係し、自分が直接関わるなどとは夢にも思っていなかった。平成11年2月7日の開会式まで6ヶ月程前のことであったが、突然上司から呼ばれ、「これをどう思うか、構造的に君がいけると思うならば、この仕事を進めようと思う、一つ検討して欲しい」と、何枚かの図面を渡された。
平面図は、当時建設中の野球場の外野スタンド部分に約30,000席の仮設スタンドを建てる計画図であった。一見何の問題もなく、何が心配なのかこの図面からだけでは分からなかった。それは3万人収容のスタンドが、建設現場で使っている、足場パイプを用いた仮設スタンドであった。スタンド全体が扇型をしており、それを3つに区画して、それぞれの大きさは、平面が約80m×80mの矩形で、最高高さ28m程度と、とてつもない大きさの仮設構造物の図面であった。
どうして仮設材を用いているかというと、建設費の節約およびオリンピックの後は、元の状態に戻して本来の外野スタンドを建設するために、解体しやすい構造を選んだと言うことであった。また、現場所長の話から、今回使用する仮設形式については、何種類ものの中から安定したものを選んだと言うことが分かった。現状復帰のために、柱脚部分もコンクリートなどの大がかりな基礎は使わず、簡易なものにすると言う条件が付けられた。
- 3.風評の怖さ
工事が着々と進み、九分通り出来上がった段階で会社上層部から呼び出しがあった。「現場を見てきた人から聞いたが、足場みたいな細いパイプでビルの6〜7階ある高さで、しかも3万人を載せて大丈夫なのか、仮設材メーカーの商品をただ組み合わせているだけではないか」、「万が一の場合、会社が吹っ飛ぶだけでなく、国の問題になるぞ」という内容のことを言われた。今回の仕事について自分も計画を見たときに、「このままでは心配なので、外部の先生方にも相談いたしまして、考えられるあらゆることを想定して、最初から計画を見直し、万全を期して建設しております」と答え納得してもらった。
また、時を同じくして、会場の総プロデュースをしている先生から、開会式の2週間前の1月23日に呼び出しがあった。内容は「最近プレス関係者からスタンドの構造的なことで、あれで本当に大丈夫なのか、会場総責任者として答えて欲しい」、また、ご自身も「何かがあったときの第三者証言として、確認しておきたいことがある」というものであった。事務所には、テープレコーダーが置かれており、何となく重苦しい雰囲気が感じられた。
構造的なことで三つの質問があったが、特に呼び出しを受ける程、難解で深刻な内容ではなかった。安心のよりどころを探しておられる様に思われた。ここで私は、先生をはじめ協会関係者の方々に、いらぬ心配をおかけしてはいけない。十分な説明の必要性を感じたので、「質問はそれだけですか」というと、「そうです」とのことでした。「それでは私たちがこの仕事で、どんなことを心配し、どんな対策を立てたかを述べさせていただきますが、聞いていただけますか」と言って、計画から建設までの経緯を説明した。
- 4.技術者としてやるべきこと
最初にこの計画を見たとき、私が懸念したことは、これまでの計画は協会側、設計担当、建設担当および仮設メーカーは、あくまでも「仮設構造物」というスタンスで取り組んでいたのではないかということであった。仮設足場に上った経験のある人なら理解できると思うが、揺れ、がたなどで安定性がなく、いざというときのために命綱を携えているのが当たり前の世界である。それに比べたら、今回選んだ仮設システムは私も、仮設材メーカーの展示品に載って見たが、普通の仮設足場に比べ「そんなに揺れない」と思えないこともなく、割としっかりしたものであった。
しかし、仮設材はやっぱり仮設であり、今回のような大勢の人が載るスタンドは、仮設構造物ではなく、「本設構造物」として考えなければならなく、いくつかのハードルを設定し、社内体制を整え取り組んでいるという内容のことを先ず説明した。
ここで、仮設材メーカーの方にご理解いただいたことは、「本設構造物」としても満足できる条件設定にあった。特に重点項目として、地震時の揺れ、強風時の揺れ・移動、観客の移動荷重(ウエーブなど)による揺れ、霜柱および積雪後の地盤のゆるみによる地盤沈下、観客席の手すりの安定性などの検討を加えなければ安全を確保できないと考えたことである。
先ず地盤について当初の計画は、地盤面が均一で沈下を生じない設計であったが、地耐力試験の測定結果より数ミリの沈下が予想されるので、沈下を許容した立体解析により縦材の応力が許容値を下回るように、斜材の数を増やして安全性を確かめた。地震、風、移動荷重時の揺れについては、解析上はピンとなっているので、接合部のゆるみはないものとしている。実物実験として2ユニットを組み立てて、載荷実験を行った結果、これまで行っていた方法では、荷重の小さい段階から接合部に大きな変位が生じ、このままでは安全性に欠けることが分かったのである工夫をした。
この構造は建設現場でよく用いられているパイプ仮設足場で、約5センチのパイプをユニット形式としたもので、縦材、横材、斜め材から構成されている。縦材のパイプの上下には、600ピッチで、リング状の8個の長方形の穴があいている鍔がある。各部材の接合はこの鍔と横材、斜め材の端部をクサビ状のピンを差し込んで固定するものである。
改善策は実験結果から接点にある8個の穴は全部埋まっていなければ、接点にゆるみが生じ、少しの移動荷重でも揺れを起こすので、部材が取り付かない箇所も捨てのクサビを入れて、部材のぐらつきをなくしたことである。これまでこのような対策を施したことはなく、予備のピンのストック確保がされていないということであった。メーカーには大変なご苦労をおかけしたが、このことは譲れなかった。
この他地震時、風圧時に柱脚部に引っ張りが生じた場合の対策として、基礎に用いた鉄板と縦材の緊結、全体剛性を高めるため斜め材を各方向とも2倍に増やした。
実際に組立を行う前の確認として、地盤の状態を簡易な載荷試験により広範囲に調べて、鉄板にするか、簡単な板材にするかを決めた。滑りについては、実際に組立て横力をかけて摩擦係数を調べた。横揺れについては試験組をして、振動計測を行い補強材の検討をした。手すりの剛性については実際に組み立て、締め付ける部品の工夫により安定させた。
以上のことを関係者一丸となって取り組み、慎重に実施していることを報告した。私の説明を聞いた後で、先生は「そこまで考えていたのですか、表面だけでは分かりませんね、安心しました」と言うことで納得いただいた。社内では、工事を進めるに当たって、全社各部門が一体となって、「安全・安心」という目的を達成しようという、熱気が感じられたことも報告した。
- 5.決断の大切さ
家に帰っても何だか落ち着かない、「私たちは出来る限りの努力をしている、これ以上のことはこの期間では考えられない、万全を期した」と、自分を納得させているが、次の瞬間には「本当に大丈夫だろうか、部材に抜けはないだろうか、ピンの差込忘れはないだろうか」という思いが頭の中をよぎった。次の日1月24日(土曜日)、朝起きると同時に、「これから長野に行って来る」と家内に言うと、「何しに」「スタンドが心配なので、確認してくる」「私も行きます」「ついでに善光寺参りでもしてくるか」ということで、スタンドを見に出かけた。篠ノ井に着くと雪がちらついていたが、タクシーで現場事務所を指示するが、開会式間近で、セキュリテーが厳しくそこまでは行けないということであった。どうにか現場事務所に辿り着くと、若い職員がいぶかしげに「何ですか」「ちょっと気になるのでスタンドを見たい」といって、IDカードを受け取りスタンドへ向かった。
会場に入ったら、そこでは浅利慶太さんが開会式のリハーサル中であった。自分はそれどころではない、前の日に先生に、万全を期して施工しておるので、心配ご無用と大見得を切ってきたばかりであったので、本当にそうなっているかをこの目で確かめたかった。
家内に、このスタンドはこんな方法でしっかり作ってあるんだと説明をしながら歩き始めた。次の瞬間「あなた、ここ、何だか動くみたい」と、言う言葉に声が出なかった。「アッこれも」と、2〜3カ所見つかった。総数で100万カ所はあるだろう接合ピンの数を考えると、どう処置したらよいか、迷いが生じた。事務所には、「何カ所かゆるんでいるところがあるので、見直しをしたらどうか」を告げ、その場を去った。その後で、善光寺にお参りして、そばに舌づつみをうって家路についた。
車中、後の処置を考えると、報告すべきかどうか悩んだが、「やはり報告すべきだろう」と覚悟して、月曜日の部内の会議にかけた。「たまたまだろう」、「いや点検しましょう」の二つの意見が出て、「疑うわけではないが、全数検査をしましょう」と言う結論になった。時間がなく、箇所数があまりにも多いが、しかし、「各支店から応援を頼めば何とかなる」と言う決断で、実行することになり、その場から電話連絡が始まった。自分が躊躇していた「報告すべきか」を考えていたことに恥ずかしさを感じた。
その時、その会社が信用出来るかどうかは、この様な報告に対して直ちに行動が起こすかどうかだろうと、すこし、自分の会社に安心した。今でも、開会式に間に合わせた現場の方々には感謝の念で一杯である。
- 6.伝承の価値
今でも無事終了して解体されたことにホットする思いである。開会式の時も、あのスタンドの下などに、100人近くの職員、諸方の方々が張り付いて、入念なチェックなどの監視をしていたことは知られていない。
技術の伝承とは少しずれた内容になったが、ややもすると目が現場から遠ざかりがちであるが、「現場での確認」が如何に重要であるかを、私自身学んだ。昔からよく目を肥やすということがいわれるが、何事も一つ一つ積み重ね、それを知識にすることが、「眼力を磨く」ことにつながり、技術者の財産となるのではないか。何をするにも、「変わらなければならいもの」、「変わってはいけない魂みたいなもの」を見極め、後輩に伝承すべきことは、「技」だけではなく、今、何をすべきか決断する「心」なのではないかと気がついた次第である。