- ●改革を求める合唱が絶えない.宗教的背景の乏しいわが国で、改革に当たってのよるべき社会的規範がまことにあいまいで頼りないことに不安を感じ、進まない改革に苛立ちを覚える毎日である。
●世界宗教といわれる仏教、イスラム教、キリスト教のうち、仏教国日本の現在の経済、文化など諸活動に最も多くの関わりを持つのは、皮肉にも、欧米の国教とされるキリスト教である。
●グローバル化と呼ばれ、特に不況脱出の尺度と方法が世界標準の中で議論され、実行が迫られる現実の中で、キリスト教を背景とするこの世界標準をクリアし、前進を続けるためには、キリスト教思想のより深い理解を必要としているのではないかと思われる。
●特にキリスト教の中でも、16世紀ルター、カルバンによる宗教改革以来培われてきたプロテスタンティズムは、西洋を地盤として発展した近代社会の強力なバックボーンとなった。19世紀末から20世紀初頭にかけて活躍したマックス・ウエーバーはその著「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」などにおいて旧約聖書の社会と宗教に遡って、近代社会の原動力がプロテスタンティズムにあることを明確に示し、市場経済における利潤追求と職業の倫理の根拠を固めるきっかけを作ったのである。
●一方物創りの原点として、欧州13世紀に始まる職人ギルドの職業観を物創りの原点として触れたことがあるが、その職業観「共同体への奉仕を通して、自己の自由を実現する」は明確にキリスト教信仰を前提としている。これもまたプロテスタンティズムとの深い関わりが伺われる。
●我が国の近代建築の歴史の中で、欧州の思想と技術の影響は限りなく大きなものであったが、その背景として導入の初期には厳然としてあったキリスト教思想の認識は、戦後の信教の自由の強調の中にあって消え失せた。これに変わる規範も育たないままに、わが国の建築界は、思想的なバックボーンを持たない物創りの世界へと変貌した。そこに、バブルの崩壊が直撃し、我が国低迷の主役のひとつを演じるこことなっているのが実情ではないだろうか。
●こうしたいくつかの認識の中で、キリスト教思想の理解を深め、建築界の改革に当たって、立脚点の一つを探ることに、それなりの意味を見出すことが出来よう。
●キリスト教の聖典とされる聖書は、我が国でも最大のロングセラー、ベストセラーの一つであると聞かされたことがある。これらの聖書の購入者の多くは、日常的に触れている西洋文化理解の手立てにと考えて聖書を手にし、その描かれている世界の異質さとか真理が隠されて見出しにくいなどの理由で読みきられていないのが実情ではないかと思われる。
●キリスト教では偶像を排し、聖書を唯一の聖典とし、聖書の言葉を通してのみ神と人とが対話する。この神と人との対話は礼拝と祈を通して行われるが、この対話の中から現在の世界を支配している標準が誕生している。
●聖書は旧約と新約の二つの契約から成り立っている。旧約聖書では、神の、誇るべき何物も持たないイスラエルの民の選びとその救済の予言を記している。これに対して新約聖書では、このイスラエルの民の救済の約束が神の子イエス・キリストの十字架の死と復活によって実現し、イスラエルの民を通して人類全体の救済が語られる。
●旧約の予言により、イスラエルの民を救済する為に、神が遣わされた子イエス・キリストの十字架の死と復活によって果たされた人の心の改革は、神の子の死をもってしかなしえなかった困難な業であることを聖書は語るのである。
●「改革は心から」との主張に立つとすれば、欧米の社会で改革が進み、わが国で進みにくい理由も見えてくるような気がする。キリスト教思想を背景とする現在の世界標準に準拠することを国際的に迫られている限り、少なくともプロテスタンティズムとウエーバーの近代社会の職業倫理についても理解を深める必要があろう。
●必ずしも明るくない建築界に漂う多くの課題の解決を求められている私たち建築技術者は改革の行方を見通し、改革に必要な業を整えなければならない。建築はどの時代にあっても、洋の東西を問わず、その時代の文化を担い、技術を結集し、文化文明の要であり続けた。この矜持を保ち続け、文化文明の担い手として、物創りに心血を注がねばならないと心底から思う今日この頃である。
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