- あまり言いたくはないが、5回目の申年を迎えている。この人生の区切りの年を見透かされたように「次世代へ」と題する原稿の依頼を受けた。編集ご担当のタイミングの良さにはただただ敬服するばかりだ。否応なしにいままで蓄えてきたものを次世代に吐き出させようとする魂胆か。
私たちが学生のころは建設界にもまだ職人風世界が残っていた。いまは設備を主な職能としているが、30代にはいろいろな建物の設計や建設に携わった。当時は、地主や社主、いわゆる個人的なお施主さんと直に接触して、施主の持っている資産をどう活かすかのプロジェクトを提案し具現化することをずいぶんやった記憶がある。そのため一級建築士のほかにも宅地建物取引主任の資格をとったり、事務所も請負工事や不動産取引ができるようにと建設業や不動産業の登録も行っていた。都市近郊では宅地が急速に開発された時期でもあり、周辺のお百姓さんを相手に土地売却によって儲けた所得の税金対策をかねた提案を結構つくった。そのひとつとしてテニスの貸しコートやスクールの事業立ち上げもしてみせた。それまでテニスをしたこともなかった私だが、テニス事業を勧めておいて、自分はテニスができません、マッケンローやコナーズも知りませんとは言えず、ひそかに別のテニスクラブに通いにわかトレーニングに励み、ちゃっかり事業ノウハウを盗み取ったりもした。だいたいテニスコートができる広い場所は、農地や一種住居専用地域のため、こんな施設はもともと建てられない場所が多かった。そのため特別許可をもらうために周辺住民の同意書の取り付けや、知事の許可を得るための公聴会の開催など、いまではとても気力がつづかないようなことも何度かした。若さとはそれだけでひとつの能力だとつくづく思う。
そんな中、お寺を2棟建てる機会にめぐまれた。1棟が総ケヤキ造りの木造古建築の祖師堂であり、今ひとつ企業型住職の現代風RC造のお寺兼住宅である。総ケヤキ造りのお堂は、実際には宮大工棟梁の職人の技によるもので、私は「先生」と棟梁から冷やかされながら実は、住職や檀家と棟梁との間の使い走りといったところだったが、材木の選定から、養生、木割り、建て方、儀式まで、面白い体験をさせてもらった。結局は棟梁のペースで工事がすすみ、お寺との調整などできるわけもなかった。1年以上工期が延びて、延びた1年は監理費ももらえず、ただ働き同然ではあったが、それでも得がたい良い経験ができた。これも好奇心旺盛な若さのゆえの特権だったのか。
考えてみると、建築の面白さは素地の土地にある。それを白紙の上に落とし、図面化し、立体化し、事業化していく、そのプロセスにあるといえる。建物が大きかろうが、事業が大きかろうが、ものができていくプロセスの中で誰かがこの面白いところを必ずやっているはずである。いま組織建築が大勢を占めるようになり、ものづくりプロセスの前後が見えない狭い部分にしか参加できないことが多いが、これが建築に携わるものを欲求不満に陥らせる最大の理由ではないかと思う。
リニューアルの時代を迎えて、状況は少し変わってきたようだ。先日、青木茂さんのリファイン建築の講演を聴く機会があったが、むかし味わったようなものづくりの面白さが垣間見え思わず身震いをした。リニューアルの分野なら、まだ顔が見えるものづくり活動ができるのではないかと思えたからである。語られた気の遠くなるような施主や周辺住民との調整もまた懐かしい仕事に見えた。性能やコストが主流となった近年の建物にあらたに加えられた、人の手と感性がもたらす実に絶妙な味わい、いつのまにか忘れかけてきたこの建物をつくる面白さがそこには再現されていた。これこそ何よりも次世代に伝えなくてはならないものなのかもしれない。
LLB研究会で、パレスサイド、IBM、新宿三井ビル、霞ヶ関ビルと4回の見学会と講演会を行ってきたが、共通していることはいずれのビルもつくった人の手の感触が残っており、維持管理の中で大切に継承され、20年たって再びその後輩がリニューアルに取り組んでいることだった。作った人、守った人、作り変えた人の顔が見える建物、そこには苦労はしたが面白がった人々の職人技の余韻が、いまでも驚くほど残っていることに気がついた。
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