- 日本と中国の建築構造技術者の交流会第1回が1993年に北京の清華大学、その後2年毎に開催されて、昨年は10周年でしたが、SARSのため延期され、本年6月15〜17日、杭州の淅江大学で第6回日中建築構造技術交流会(以下、日中交流会と略します)が開催され幹事として参加しましたので、準備段階の苦心談から会議そして会議の前後の楽しい話・前編では苦心の準備、上海と杭州の日中交流会を紹介しましょう。
今回の準備は第5回2001年の西安の日中覚書から始まりました、覚書には次回の場所・時期・テーマ等が協議の上合意され記載しています。まず、2002年9月に第1回幹事会を行ない、JSCA機関紙へ2003年10月開催のPRを記載しましたが、その後、SARSが発生し、情報把握に努め、2003年2月延期を決定し、SARSの状況次第としながら2004年6月開催を中側と合意しました。2003年8月、北村理科大教授、関西及び新幹事2名を加え活動を開始し、再度開催PRを行ない2004年2月論文締切り、役員会(青山会長、秋山名誉会長、和田副会長など)を行ない、その間中側と折衝し、開催の運びとなりました。
今年6月13日(日)午前中に成田空港を出発し、上海では七年ぶりに東方明珠(テレビ)塔(写真―1)を見上げながら旧日本租界の北の遠洋ホテルに到着した。旧日本租界界隈は2010年の上海万博の開催用地となるとのことである。上海では交流会に先だって、浦東地区の現場見学を行なった。幹事役・日建設計の国津さんの手配で、まず、日建設計・上海設計研究院の設計によるRC造(FC60)地上40階のセンターコア形式の事務所ビル(写真―2、左が見学現場で、その右に三棟の高層ビルの建設現場が見える)。翌朝は、柱SRC・梁S造地上46階のダブルコア形式の上海銀行ビルの現場を見学し、華東設計院の技術者による親切な説明がありました。写真―3は上海銀行ビルの現場から見たもので、右の空き地は森ビルが計画し工事中の地上101階建・上海環球金融中心の現場です。作業所は安全を重視する標語が多く、安全手摺も配慮され七年前とは大分異なっていた。以前は多く見られた竹足場は市街地の低層建物の解体現場で見られる程度でした。上海の建設ラッシュはすごいもので、鋼材の消費が日本の建設現場に及んでいるのも理解できます。写真―4は13日夕食前に、豫薗を覗いた時の写真です。6月14日現場見学後、上海からバスで2時間の杭州へ向かった。
司馬遼太郎の「中国・江南のみち」に書かれていますが、杭州は北方の異民族に苦しめられながら319年続く宋の最後の南宋の首都として栄えましたが、日本では平安、鎌倉時代であり蒙古に押されて日本に亡命する僧など日本との交流が深かったようです。
我々のバスがまず向かったところは杭州市の西に位置する西湖でした。西湖遊覧船にのり緑と水の美しい杭州を味わった。船を降りバスの待つところへ行くと運転手が駐車禁止のところへ車を止めたとして、警察に連れて行かれてしばし待ちのアクシデントの後、日中交流会の間滞在する黄龍飯店へ着いた。
先に「黄山」へ行って来た関西の一行と落ち合って食事の後、我々4人の幹事は急ぎ日中幹事会に向かった。交流会の準備を整えていただいた中国側に謝意を表し、翌日からの会議の確認を行った。
翌日、日中交流会は、名門の淅江大学で始まった。開会式、記念講演の後、恒例の記念写真(写真―5)となった。会議参加者は日本からの77名、中国各地より145名、台湾18名、香港9名を合わせて200名を超える盛況でした。午後からは4つの会場で論文発表となった。発表は日本語、中国語でそれぞれ、中国語、日本語の逐次通訳付きです。発表内容は、超高層の新しい技術、大空間構造についてのテーマが中側より強く望まれ、さらに免震・制振、理論・解析、材料,地盤と基礎と構造技術者にとって興味深い幅広い分野でした。超高層では、中国からは大連78階、重慶74階等と中国各地のビル、日本からも森ビルの上海環球中心101階等上海の建物3例が紹介され日本の構造設計者の中国プロジェクトへの関与が感じられました。大空間構造では中国からは北京オリンピック施設も発表され、日本からはオリンピックの次のワールドカップに備えた中国側の希望によりワールドカップサッカースタジアムの紹介を行った。3日目の16日は、今回特に力を入れテーマを絞った討論会を4会場で行なった。和田先生は超高層免震・制振・地盤・基礎の会場の座長を務められました。会議後はほとんど毎日、招待宴、答礼宴と宴会続きで幹事の役は大変です。宴会明けの朝食はお粥が一番です。写真―6は宴会中に和田先生とご機嫌に撮ったものです。
討論会後の慣例の全体会議では、次回のテーマ、開催地、2年後の10月開催等を記した覚書に調印した。閉会の宴ではお互いに労をねぎらい感謝し、次回を約した。閉会後直ちに、世界文化及び自然遺産に登録された、杭州からバスで6時間の「黄山」へ出発しました。
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