「キシャキチガイ」・・・・ 鶴田 裕

 鉄道ファンという社会から認知されていない子供染みた趣味の披露は、家人からきつく禁じられているので、2年にわたる伊藤編集長からの依頼を断り続けていたが、遂に折伏されてしまった。小さい男の子が電車に手を振る光景をしばしば見受けるが、そこで成長が止まってしまうと鉄道マニアという称号を頂戴してしまう。
 キシャキチガイのタイプはさまざま、最も多いのが車両が好き。電車、機関車、旧国鉄、私鉄などジャンルもいろいろ。今、蒸気機関車のことをSLと言っているが、学生時代は蒸ロコ(LOCOMOTIVEの略)と呼ぶのが普通で“ロコよりあの子”と、クラブを退会していった方が正常な神経の持ち主かもしれない。他に写真を撮る、模型を作る、時刻表(業務用のダイヤグラムを何処からか入手)を読んで楽しむ、鉄道全線乗りつぶし(東大・文卒、中央公論編集長だった故宮脇俊三著、時刻表2万キロ〈1978年刊〉がこの楽しみ方を世間に紹介、この6月にNHK TVで一筆書きの最長片道〈12,000km〉切符の旅が42日間連続実況で放映されたが、同氏は1979年に同社常務を退任後に大急ぎ34日間で13,000km余りを走破している)、切符集め〈記念切符があるが、普通の切符の方が奥が深い〉などいろいろ。
 私は、どの分野もチョットはかじったが、嵌まり込んだのは、硬券と称するボール紙に印刷した切符蒐集。あのチッポケな紙切れだが、乗車券あり、入場券、急行券、古くは1〜3等まであり、昭和24年くらいから始めたので、かなり揃ったつもりである。その人の姓の駅の入場券をプレゼントし、親交を深める道具にした。石井、岩井、吉田、後藤、田中氏など。時刻表もダイヤ改正号だけ残したが、1960年からこの10月号まで数えてみたら45年間で99冊。家人の機嫌が悪くなるのも当然かもしれない。
 この趣味が多少他に役立てたのは、大成時代の出張旅費計算で、経理担当の女性が出張者の清算書を処理後に本社に提出。どこかにミスが有ってその箇所を指摘されずに突っ返された(意地悪!)時の応援。でも今の私にはその能力は無い。上野から北斗星に乗って札幌乗換えで札沼線石狩当別〈札幌から27km〉までいくら?と聞かれても、自信がない。JR東日本と北海道にまたがり、札幌郊外とはいえ札沼線は地方交通線なので、営業キロ、換算キロ、擬制キロから運賃計算キロを出す。更に新幹線八戸開業時に在来線の盛岡〜八戸を二社に売却したのでそれぞれの乗車券と特急券を加算しなければならない。パソコン検索でも出てこない。札幌から博多だと5社にまたがり、もう知らんとしか言いようがない。
 本欄執筆の諸先輩の趣味は、いずれも人に役立つものだが、私の趣味はまあ人畜無害〈但し、家人を除く〉ということであろうか。

鉄道ファン仲間宛の年賀状。モハ42001という名の昭和31年(横型)に伊東で撮影した平成17年用(上)と、小野田支線で撮った平成14年用(下)。昭和9年京都〜神戸全線電化時に製造した今流にいえば新快速用で、100km/hの俊足で京阪神間で活躍。戦後、横須賀線の応援用にグループ数十両を巻き揚げられた、と関西のファンは言う。中学時代、初めて見た関西の省線電車に一目ぼれ、戦前製で唯一両生きながらえ、平成15年3月14日に私の会社人間退任に付き合ってくれたかのように引退。最後の日は宇部新川駅で終電を見送り、初恋の電車に別れを告げてきた。 

硬券末期の日光線鶴田駅。この駅の鋳物の柱には明治44年鐵道院、浦賀船渠の銘もある。昭和1.11.11と1が5つ並んだ日の私のオタカラ。