「計算尺」 ・・・・ 津田勝弘

 去る11月18日、「あなたが知りたいマンションの耐震性」の市民講座が開催された。
 和田先生、安部幹事を始め各講師の方々、サーツの方々、又関係者のご尽力とご協力のお陰で参加者も多く、活況利に成功したことを、紙面をお借りして関係者の一人としてお礼申し上げます。
 丁度その日の朝、マンションの耐震構造計算偽造の報道がなされた。有ってはならない事ではあるが突然の事でニュースを見たときは、始めには何の事か理解出来なかった。私の頭の中では、考えも及ばない。先ず「何の為にしたのか、その様な事をして構造設計者に何のメリット・利益があるのか」と思った。
 その後の色々な報道を見聞きし、我々の仕事と云うか業界として、矢張り何らかの反省しなければならない点があるかも知れない。
 基本的に構造設計に拘るような人間は、一言で言うと「まじめな人間が多い」と思っている。そこを漬け込まれたのでは無いか。一度不正と云うか偽造すると、其の事を弱みに捉まれ、次々と偽造を繰り返したのでは無いかと思う。勿論理由の如何に拘らず、釈明の余地は無いが・・。
 私の若い時代は、上場会社でもパソコンは勿論無いし、電卓も設計部とか構造課に1台しか無く、課長の横の席で鎮座ましていた。長時間使うと熱を持った程である。コンピューターは電子計算機と云って、計算機の為に24時間、空調を効かせた部屋で、白衣こそ着なかったが風徐室(前室)が有って、土足厳禁、履物も履き替えさせられた記憶がある。
 当時、ボーリング場が次々と建設され始め、30m近くスパンを跳ばして設計するので、撓みの計算はコンピューターで求めた。設計部では、計算尺とか、チンと鳴る機械式計算機を使い、算盤もまだ巾を効かしていた。
 そんな中で計算とか構造図を書いていれば、所謂「勘」が働いて他人の計算書や構造図面でも変な数値や図面を見ていると、「ここがおかしい」と直ぐ判らなくても何と無く、違和感を感じたものである。所謂「直感」である。
 上司や先輩に計算結果を一目見せただけで、「ちゃんと計算したか?もう一度やり直して見ろ」等と言われて渋々再計算すると矢張り、勘違いしていたり、桁を間違ったりしていたものである。そういった意味で、社外へ出す前に、社内で先輩や課内で何人ものチェックを受けた。社内で「計算書が出来ました」と言って「ご苦労さん、そこへ置いておいてくれ」と殆んどノーチェックになったのは、色々な建物の用途や規模の計算を一通り経験した1〜2年経った頃である。
 鉄筋の本数が多くて、鉄筋の配筋間隔を採ると断面に納まらず2段筋・3段筋まで計算に入れ、挙句の果てに、梁に水平ハンチを取つたり、最下層の柱脚では配筋の収まりに特に苦労した覚えがある。
 又、今回の事件とは逆の「ギリギリの設計はするな」と云う先輩からのプレッシャーがあった。というのは現場で図面や計算書どおり施工できない場合(例えば設計変更)があり、(実務では無いことは先ず考えられない)、設備関係で梁や耐力壁にスリーブ用の開口が予定位置に設置されない場合があるからである。設備業者は、当時は相談もせずに、勝手に空調や配管用の孔を開ける事が非常に多かった。
 最近はキーボードを叩くだけで、物に依れば数分でOKかNGが判る。図面もリンクしていてCADで一部修正を加えるだけである。
 有る意味で今の若い技術者は、手書きとか手計算の経験が出来ないだけ可哀想に思う。
 間違いや失敗は若い時に多いに経験しておいたほうが良い。現場から怒鳴られたり、営業から予算オーバーで赤字だよとか叱られたり、そういうことから「勘」は磨かれる。
今回の件は、極めて特殊なケースだと思う。コンサル・施主・設計事務所・施工会社・販売会社迄のグループが特定の物件が多い。そうでなければ、設計から竣工までのどこかの時点でチェックが入る筈である。皆さんもご存知の様に、歩掛りというのが有り、積算とか現場の施工図段階を素通りすることは先ず考えられない。もう一つは監理の大切さと言うか役目も重要である。
 これからの工事監理は、ただ設計図や仕様書通りに施工されているかを監理するだけで無く、経験と技術を生かして、建物の工事全体のバランスも監理する事を求められて来る時代になるであろう。
 検査機関の方にしても、パソコンのアウトプットだからとか、最終ページの「エラー無しに計算終了」の文言にチェックが甘くなる。その辺りに少し盲点があったのではないか。
 今後はダブルチェックとか、色々な方法で審査が厳しくなると考えられる。それはそれで仕方の無いことではあるが、構造計算に携わる者が、全て疑いの目で見られるのは残念なことである。