東村での経験は明日に繋がる・・・・松村秀一
入札時に一定の条件を満たした複数の施工業者が、それぞれに設計者の意を汲んだ形で施工上の技術提案をする。それを専門家たちから成る審査委員会が評価して最も優秀な案を選定する。しかも、そのプロセスのすべてが住民の見ている前で行われる。前代未聞の仕掛けである。
最初東村の方や群馬県の椎名さんからこの話を聞いた時には、いささか不安な面もあった。特に、詳細な設計が完成した上で工事業者の入札が行われるという公共工事の建前からすれば、施工業者側からの詳細設計に関わる技術提案はその建前に反してしまうし、もしそうした技術提案を前提とした場合、竣工後の建物の性能に関する責任の所在が明確ではなくなってしまう。そのあたりに関する整理なく、いきなり施工業者からの提案を求めるのはまずいのではないかという不安である。
そこで、サーツ建築部会のメンバーに相談したところ、「細かいところでの調整は必要だが、ゼネコンには良い刺激になるだろうし、面白いから協力しましょう」ということで、和田先生、難工事の現場所長を幾度も経験した筒井さん、そして鉄骨工事のスペシャリスト前田さんが審査委員を引き受けることになった。
案ずるより産むが易し。施工業者各社から選ばれた現場所長候補の方々が提案者として舞台に立ち、どなたも「私が所長になったらこうします」と自信に満ちた発表を行った。提案内容は、富広さんの作品や美術館への思いをどう施工に反映させるかという施工者スピリットに関するものから、工事中の美観や村民へのサービスに関するもの、更には、円形に曲げた鋼板の壁を主たる構造とし、しかもそれがいくつも繋がる形で全体を構成するという挑戦的な設計案の実現に伴い解決しなければならない結露対策や施工手順の問題に関するものまで多岐に及んだ。設計案のディテールに変更を加える提案も少なからず見られたが、それに関しても案ずるより産むが易し。その場で、設計者の横溝さんとの間で技術的な議論が展開され、村の人には双方の意気込みが熱気を帯びて伝わっただろうし、設計者の意図やこの建築工事の難しさもより明確に伝わったはずだ。
施工業者にとっても大いに刺激になっただろう。互いの発表や質問への答えを直接聞くことができる。こういう施工上の課題が与えられた時、他社ではどのような点に注意を払い、どういう技術的な検討を行うのかが手に取るようにわかったはずだ。そして、何より一般の人に施工業者の役割や技術力を具体的に理解してもらうまたとない機会になったことが大きい。
初めての試みということもあっただろうが、どの企業も時間をかけて説明用資料を用意していたし、プロジェクターによるプレゼも堂々たるものだった。ただ、契約が取れるかどうかわからないまま毎度毎度これほどの労力をかけていたのでは、施工業者側の気持ちも萎えてしまうし長続きしない。もちろん技術的に難易度の低い建築工事では今回のように提案の内容を競うこと自体難しい。そうしたことを考え、私自身は、今回の例のように技術的に見ても挑戦的な建物の工事の際にこそ広く適用すべき方式だと結論付けてはいる。
着工まえの施工技術評価・・・・筒井 勲
村長さんの心配は、竣工後の雨漏り、結露、故障、維持管理のし易さ、耐久性など基本的品質は大丈夫か、すぐに対応してくれるかなどであり、その為には
良い施工会社を選ばなくてはということであった。
日本では、一般に建物の不具合、欠陥は殆ど、全て施工会社の手抜きか管理不足が原因であると考えられ、その対応、尻拭いも当然施工会社が担当すると思われ、また大体そのように現実もなっている。
日本の設計コンペは村長さんの心配している基本的品質などはまったく審査の対象外であり、工学的な意味での洗練された技術や、確かな収まりなどは眼中に無く、むしろそんなものにとらわれないユニークな、豊な、楽しい、アバンギャルドな空間を評価する、エンジニアリング的評価はしないし、その筋の専門家も入っていない。
そこで村長さんはお金だけでなく技術の確りした良い施工会社を選ばなくてはとなる。
村長さんの意を汲み、図面を一瞥した結果した結果、このプロジェクトは通常の建築ではなく、外壁の収まりなどに問題も多く、高度な技術的なポテンシャルを有する施工者が設計者に協力し設計内容を改良洗練されたものにしていく事が必要であると考えた。
設計改善提案を中心に評価するとして、設計者にとって不愉快なことになるやもしれないが良いですか、と言う事に村長の賛同を得てスタートした。そうは言っても心の広い設計者であっても実際にはあまり言われると面白くないもののようである。
完成度の高い設計図書をもとに、高い技術的な調整力を持った設計者で、契約社会であれば、施工会社の選定は価格だけでよい。施工会社は何処でも同じである。
日本も建前だけは上記の原則であるが、本音は村長さんの言うとうり施工会社を選びたい。
着工もしないうちに施工会社の技術力を評価するには施工計画の評価、過去の実績、保有する技術力の評価、このプロジェクトに対して注入する熱意(組織的対応、担当者の選定)などが一般的である。施工計画や運営手法など手段系の評価は着実な工程計画、モデル施工の実施、近隣環境への配慮などそれ自体重要ではあるが完成後の結果の評価が相応しい、仰々しいプレゼを信用してよいものか。終わり良ければ全て良しである。設計者の相談相手となり設計を改良していく熱意、組織的対応力、の評価を中心とした。
今回、設計図どうり着実に熱意を持って施工いたします派(地元ゼネコン)と、収まっていない図面を何とかしなくては派(大手ゼネコン)に分かれ、設計改善提案派に軍配が上がった。
設計者も相談相手となる頼りになるゼネコンを期待していたようである。
残念ながら、客観性、合理性があるかと問われれば、審査員による人気投票の観は否めない。
施工者選びの技術評価とは何か・・・・伊藤誠三
当会には少ない意匠系の会員として、一言感想を述べることにした。
かつてはコンペに情熱を燃やした時代もあり、もう40年も前のことになるが、京都国際会議場の国際コンペには組織のチームの一員として参加した。豪農の集落のような切り妻の大屋根群で構成したが、あえなく落選、当選作を見て、その現代的な構成と造形に驚嘆し、似たような発想をしながらその違いを知らされた。その後、両3度、現場の見学の機会があったが、斜めに交錯する鉄骨群が生み出す、殆ど勾配の無い長大な谷あいがどういう納まりになるのか心配していたが、竣工後、ずっと雨漏りの補修を続けていると聞いている。
日本では「雨露を凌ぐ」という言い方で住まいの基本が表現されている。雨と夜露から身を守る、建物を作る側から言えば、雨漏りと結露を防ぐことが建物の要件とも言える。今度の施工者選定では、日経アーキテクチュアの記事によれば、建て方とかこの基本的なことが、施工者の技術にゆだねられたらしい。設計という業務を一言で言うと、計画建物の形態や「在りよう」を示すことであり、その成果達成の確認のために監理業務があると言えると思うが、その性能レベルとその達成手順を施工者の技術にゆだねるとすれば、「建物のありよう」とは何か、監理業務の実質はどう言うことになるのだろう。建物のありようとは空間の形状だけのことなのだろうか。
日本経済新聞紙上では「設計選び、変化の兆し」(2003.7.26)として報道していたが、公共建築の建築家選びに住民参加という視点でのみ捉えられているようだ。
建築の技術的な面は施工業者に任せればよいということが、「変化の兆し」ではないだろうとは思うものの、いまや、技術の集積が優れたゼネコン側にある現在、その傾向が明確になってゆくのだろうか。