「イスラム開発銀行本部ビル」(サウジアラビア ジェッダ)・・・・元日建設計 田中正美

 イスラム開発銀行本部ビルの国際設計コンペに日建設計が応募して、案の提出にサウジアラビアのジェッダに初めて行ったのが1983年、コンペに当選したものの契約迄に紆余曲折があり設計監理契約を締結出来たのが1986年、大きな設計変更があり着工したのが1990年、竣工の祝賀会に出席したのが1993年。この間に10年の歳月が流れた。コンペ参加時に担当設計部長だった私は竣工の年には国際担当役員であった。記憶に残る仕事になったのは掛かった時間の長さもさることながら、私が関わった仕事の中で最も多くの新しい経験を得たプロジェクトだったからであろう。
 サウジアラビアに入って、民族衣裳の白い長衣を着て頭に白か赤の布をかぶり黒い二重の輪を載せた人々に囲まれ、モスクのミナレットからお祈りの時間を告げる朗誦が流れて来るのを聞くと、別の世界に居るような気持になるのだが、そのジェッダに24回の出張を重ねた。ラマダン〈断食月〉に滞在して夜中の12時から会議が始まったこともある。サウジ滞在中は完全禁酒である。
 本格的な国際プロジェクトを完遂するためには外部からの多くの協力を必要とした。先ずイスラム国47ヵ国の象徴となる建物に相応しいイスラム風デザインである。イスラム建築の権威として知られるイラク人の建築家マキア博士の協力を請うために博士の事務所のあるロンドンに飛んだ。応諾を得て日建設計のデザイナー三人をマキア事務所に派遣し案を作成した。博士の思想はドームやアーチといったイスラム風のデザインモチーフで建物を飾るのではなく、多様性と統一性、光と影などのイスラム建築の伝統的特質を現代建築に生かそうというもので学ぶ所が多かった。ローカルアソシエイツはサウジ人エンジニアのコーシャック博士に、積算は英国のD.G. ジョーンズ社に依頼した。工事監理チームには英国のギブ社から監理技師を派遣してもらった。厳しい契約交渉、米国基準法に従った設計、米国CSIに拠る仕様書、国際的な保険・税務処理など多くの苦労とともに新しい経験に満ちたプロジェクトであった。