「日本建築学会賞受賞によせて-1-」
日本建築学会賞(木造住宅の耐震診断に関する業績)受賞
     ・・・・ 東京大学 坂本 功

はじめに
 建築学会賞を受賞したことについて、本「PSATS」誌に書かせていただくことになった。
 選考委員会による受賞理由の説明や、私の型どおりの所感は、建築学会の機関誌である建築雑誌の2003年9月号に載っているので、ここでは、業績の内容そのものよりも、背景や経緯と、私の個人的な感想を中心に書くことにしたい。
 まず、日本建築学会賞であるが、それには、論文・作品・技術・業績の4部門がある。私が頂いたのは、そのうちの業績の部門で、対象は、「木造住宅の耐震診断法の研究・開発および普及・啓蒙活動に関する業績」である。内田祥哉先生に推薦していただいた。
 現在最も広く使われている木造住宅の耐震診断法は、日本建築防災協会版とでもいうべきもので、私は、その作成に携わり、またその後それを広めるための解説記事を書いたり、講習会の講師などをした。平たくいえば、そのような業績である。

木造屋になるまで
 私は、もともとは木造屋ではなかった。昭和41年に大学を卒業したが、松下清夫先生のご指導で書いた卒業論文の題目は、「免震構造に関する研究」である。
((実際の執筆者は和泉正哲先生で、松下先生が「坂本君、卒論はこの前和泉君が書いてきたものを、君の名前に変えて出せばいいですよ。」とおっしゃってくださった。
 当時、免震構造は正統的な技術とは認められていなかった。時代に先駆けすぎていたのである。あのまま免震の研究を続けていたら、その方面で幅を利かせられたかもしれない。))
 大学院での研究内容は振動関係で、博士の学位論文の題目は、「建物の地震入力に関する研究」である。そして、当時の建設省建築研究所に入ってからも、その延長線上でやっていた。
((そのころ所内にあった官舎に住んでいたが、ちょうど導入期だったツーバイフォーの建て方実験など、見向きもしなかった。))
木造の耐震性の研究
 さて、建研に入って2年ほど経った頃、内田祥哉先生からお話があり、大学に戻ってきた。その時内田先生が、「坂本君、大学では何をやってもいいけれど、今木造をやる人がほとんどいないから、やってみるとおもしろいよ。」とおっしゃって、木造関係の委員会に紹介してくださった。この時点で私は木造屋になり、その後数え切れないほどの委員会でご一緒することになった杉山先生とのおつきあいが始まった。
 その時までは、木造の勉強といえば、学生時代に松下先生の講義を聴いただけだったので、とにかく論文やら雑誌やら参考書やらを濫読した。それにしても、一応基礎から勉強した振動からは離れることができず、結局、「木造」の「耐震」を専門とすることになった。
 ところで、その木造であるが、当時は大規模木造が姿を消しており、新築の木造といえば、戸建ての木造住宅だけであった。そして、当時木造をやっていた杉山先生のお弟子さんたちや、林業試験場(現森林総合研究所)の方々は、ツーバイフォーやプレファブの研究をしていた。他方、いわゆる在来構法はあまり相手にされていなかった。それで私としては、人があまりやっていない在来構法の木造住宅を中心ににやってみることにした。

木造住宅の耐震診断法の開発
 そんなときに、静岡県から東海地震対策の話が来た。昭和51年に、当時東大におられた石橋克彦先生が東海地震説を発表したのをうけたものである。静岡県で対策を始めるにあたり、まず、県民の安全を守るため、既存住宅の耐震性をとりあげたのだと思う。その話が、回り回って私のところにきたわけである。
 その対策の対象となる木造住宅は、当然在来構法である。しかし、県の方でも、対策の具体的な内容は、まだ模索中のようだった。そして、県からの指示があったか、相談の結果だったか、記憶がはっきりしないが、とにかく、在来構法による既存の木造住宅の耐震診断法を作ることになった。それが昭和52年にできた「自家耐震診断」で、いわば静岡県版というべきものである。この原型は、自分一人で作ったと思う。
 その後昭和54年に、すでに作られていた鉄筋コンクリート造と鉄骨造の耐震診断法に横並びの形で、建築防災協会版の「わが家の耐震診断」「木造住宅の精密耐震診断」が作られた。そのために財団法人日本建築防災協会と社団法人日本建築士会連合会が合同して設置した委員会では、杉山先生が委員長で、私が作業部会の部会長になった。そして、静岡県版を下敷きにして、全国版ともいうべき上記の建築防災協会版が作られた。その内容は、一口に言えば、当時の現行耐震設計法を診断法に焼き直したものである。
 この耐震診断法は、地方自治体のパンフレットなどに引用される以外には、ほとんど実用されたようには見えない。そして、昭和58年の日本海中部地震の後、昭和60年に改訂版(実はこれが現行版、新耐震設計法に整合させた)がやはり上記と同じ体制で作られた後も、ほとんどどこからもお呼びでない状態だった。

阪神・淡路大震災と耐震診断法
 そのような状況が激変するきっかけとなったのは、言うまでもなく、平成7年あの阪神・淡路大震災である。そんなものがあるということすらほとんど知られていなかったこの耐震診断法が、にわかに脚光を浴びることになった。その後、様々な局面で、この診断法が使われていることは、読者のみなさんもご存じであると思う。なお、この地震のすぐ後では、診断法そのものを変えることはせず、解説書を増補するだけにしている。
 こうして広く知られるようになり、また実際に使われるようになってみると、この現行診断法の作成に携わった私としては、内容の不備がますます気にかかるようになってきた。そして幸いなことに、この診断法が、平成14・15年の2年がかりで、改訂されることになった。やはり防災協会に設置された委員会では、私が委員長、独立行政法人建築研究所の岡田さんが作業部会の部会長をしている。

診断の具体的な方法とその問題点
 サーツの会員の多くは、上記の「わが家の耐震診断」の診断表を、一度くらいは目にしてくださっていると思う。地盤・基礎、屋根・階数、壁の配置、壁の量、老朽度の6項目について、それぞれ評点を求め、それらの積から総合評点を求めるものである。基本となるのは、壁の量で、これは新築住宅の設計の時に義務づけられている壁量計算を、診断用に焼き直したものである。
 耐震性が問題になるような木造住宅の場合、図面が残っていることはまずない。現況の目視で、耐力壁であるかどうかや、筋交いが入っているかどうかを推定しなければならない。そこで、精度は高くないにしても、耐力壁の量が推定できるように考えた。実は、静岡版は、木造屋になって3年そこそこで作ったものなので、ろくに研究もせず、エイヤと決めたところが多い。昭和60年の改訂の時には、自分なりに相当知恵を絞ったが、やはり、前提となるデータが乏しく、当たらずといえども遠からずで決めざるを得なかった。
 なお、診断法としては、この「わが家」以外に、専門家向けの「木造住宅の耐震精密診断」があるが、これはまだそれほど使われていないようである。
 さて、この診断法で、一番気になっていることが、二点ある。ひとつは、柱脚や筋交い端部の止め付けである。柱脚の止め付けが不備だと、地震時にすっぽ抜けてしまって、軸組が分解し、たとえ壁があっても、倒壊してしまう。また、筋交い端部がしっかり止めつけられていないと、当然耐力壁としての役割を果たさない。したがって、この止め付けがどうであるかを確認するのが、非常に重要である。今回の改訂では、止め付け方法の建設時期による違いで推定するという経験的な方法や、X線で探査するなどの方法を検討している。

伝統構法の耐震性の評価
 もうひとつ気になっていることは、伝統的な構法による木造住宅に対する診断である。この建築防災協会版は、端的にいえば、伝統構法の耐震性を否定している。たとえば、いわゆる大黒柱構法、すなわち民家のたぐいで、大黒柱と呼ばれるような柱があるものは、それだけで低い評点がつくようになっている。これは、過去の地震被害から見れば、当然といってもよいことで、それだからこそ、新築では耐力壁を設けるように義務づけられるようになったのである。
 しかし、伝統構法といっても、柱の太いお寺の本堂のようなものや、住宅でも、骨太の民家から、数寄屋風の華奢なものまで、様々である。十把一絡げに、耐震性がないというのは短絡的すぎる。ここ20年ほどの間に、特に阪神・淡路の後に、伝統構法の耐震性の再評価に関する研究が飛躍的に進んでいる。特に、小壁付きの柱のラーメン的な効果は、今度の改定でも採り入れられることになると思う。

補強の問題
 診断した結果、耐震性が乏しければ、補強する必要がある。ただし、私の受賞業績の内容には、補強に関することは含まれていない。補強に関しては、試行錯誤の時期であるように思う。費用の問題もさることながら、住んでいる人の意向や、補強工事のやり方などが絡んでくる。また、補強の効果の確認方法も必要である。補強に関しては、これからの問題であると思う。

結び
 この5月26日と7月26日に、東北地方で地震があった。幸い犠牲者はでなかったが、新聞やテレビでは報道されなかった木造住宅の被害は、結構多い。数は少ないとはいえ、れっきとした住宅で倒壊したものもある。耐震診断の必要性は、ますます高まっていると思う。これからも、微力を尽くしたいと思う。