最近、特に生命・安全などに関わる不祥事が続く。関電の原発二次配管事故、航空機関連のトラブル、三菱グループの土壌汚染、トラックやバスの不具合、JR西の福知山線の大事故、橋梁の談合、わが業界の石綿関連、悪徳リフォームと本当に次から次と「不祥事」の表面化、報道が絶えない。これらは皆、厳然たる「人災」である。
JRの大事故と航空会社のトラブル続きは「定時運行」という点で根っこは同じと聞く。しかも、航空会社は統合で機体やシステムの不慣れに加え、情報の共有化もなく学習効果が働かない状態で、待機時に離陸許可のないまま、滑走路に飛び出し、あわや衝突のところを管制官のリードで回避ということが続いたそうで、交通手段は選択が限られるだけにもどかしい気がしてなりません。
土壌汚染や車関係については確信犯で、時代錯誤というか、どうしてと言いたい。談合については技術的な継続性や伝承といったことがあるならともかく、単に仕事の割り振りの手法というならもうとっくに通用する時代ではないことを学習して欲しい。かなり以前、「土木工事はリスクも高く、建築工事に比べ3倍美味しい。」と聞いたことがあるが、未だにそういう世界なのかなという思いと氷山の一角という印象が拭えない。石綿については、煙突を手で触り、学校の理科の実験か何かで使った記憶がある。又、30年以上前、ゼネコンの現場担当として新設煙突の石綿製内管を据えたり、工場や倉庫などの屋根や内装に石綿製品が多用されていたので、常時、ホコリなどに曝されていた。今頃、潜伏期間が30年とか言われると何やら気持ちが悪く心中は穏やかではない。毎日のような報道を目にすると早く対処しないと大変なことになる印象は拭えない。
「悪徳リフォーム」は、最初から意図的な詐欺行為だけに許せない。少し知識のある人や専門家が見れば直ぐ判るような幼稚な手口で実行するとは呆れる他ない。現役時代、リフォーム専門会社のAM巡回を経験したが、偶々、売り込みのセールスマンが来訪した時、お客様が「住宅のことは□○会社に任せているから。」と体よくあしらわれ、効果抜群だったのを思い出す。消費者が賢く、強くなるしかなく、サポートシステム、体制、人の輪をつくるのが喫緊の課題に思われる。特に、一人暮らしや女性だけの家族の場合、対策の必要性は切実だと思う。
これらに地震、台風、水害などの天災が加わって日本列島は大変な状態であるにも関わらず、永田町の面々は「郵政民営化」のみと、国の行く末を置き去りの能天気な毎日であった。もっとも、小泉首相は優先順位の高い課題山積を尻目に、自分のテーマ、自民党の公約と、成立にまい進するのかと思えば、「郵政民営化法」が参院で否決されたら「衆院解散」などとパワーハラスメントで反対派を封じようと「八つ当たり解散」に踏み切った。解散後、参院の構成が変わらないのに「郵政民営化ができなくてどんな改革が・・・・。」と言われても、総選挙で下野することとなり「民営化」が雲散霧消した場合、退陣するだけで責任を果たすことになるのかと思うと、一昔前、お殿様系の首相が唐突に「辞めた。」のと何ら変わらないではないかと思うのです。しかも、衆院で可決されているのですから、尚更です。最近の国会の「あの騒ぎ」は何のためだったのか、今までの言動と論理的に矛盾はないのか不思議で仕方がありません。単なるパフォーマンスなら許せません。これも、一種の不祥事ではないでしょうか。増して国際的には隣国、中韓との関係や北朝鮮との拉致問題一つ進展させられず、停滞すらしているこの時期に1ヶ月の空白は「民意」を問うには勿体無いと思います。今後、企業経営者が色々な形で真似るケースが続くような気がして仕方がありません。
過日、不祥事会社の株主総会に出席してみた。冒頭、全員で犠牲者に対し「黙祷」を捧げるなど形は繕い、説明や質疑にも確かに色々と言葉を連ねるが肝腎なところは濁して誠意も感じられず、約4時間、何か空々しく、形式的なセレモニーをやり過ごせば「禊ぎ」は済みという印象で帰路は非常に重い足取りになりました。又、いつか大事故を起こすのではと気掛かりでなりません。不祥事の原因を品質管理のシステム不備などと簡単に他人事のように済まされるのは腹立たしいし、『ハインリッヒの法則』にいう「1件の大事故の蔭に300件の小さな事故やトラブルがある。」というごく普通に知られている安全についての常識が関係者にはないのだろうかと思ってしまいます。
近年、行政だけでなく企業の行動においても「不作為」が罪になる事例が増えたが、法制的な不備を補い、罰則の強化だけではない「何か」を必要としている気がしてなりません。企業の社会的責任が声高に叫ばれているが、まだまだ地に着いているとは思えない。「武士道精神」が博物館入りして久しいが、「恥を知る。」こともなく、《他人の目を気にすることもない》問題企業の経営者も多いように思われる。所属集団を離れて、個人としての是非はどうなのか。ビジネスリーダーの責任は重いことを再確認し、ことに当たって欲しいと痛感するこの頃である。
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