「私のゴルフ論」・・・・松崎博彦

 私がゴルフを始めたのは33年前です。その後、ハンディキャップが10となるまでに、8年の歳月を費やしています。この間に、ゴルフに対する考え方の基盤ができたように思われます。
 ある現場において、施主を交えたコンペの時でした。私は、真剣にプレーをし、その結果、優勝を勝ちとり巨大なカップを手にし有頂天でした。その後の上司の冷たい眼に気づくのは、かなり後になってからです。現場人生からの転換が始まり、進路がそれていったのです。ゴルフの一面に営業というものがありますが、私の頭の中には存在しないと、知りました。
 それから3年の歳月を経て、腰痛が悪化し入院。半年の空白の間にゴルフの歴史書、スイング理論の研究に没頭、実践を伴わないため、空想は無限のふくらみとなり、この悠久の歴史と得体の知れない魅力の世界に足を踏み入れると、俗世の悩みが一気にかき消されて心が癒される事を知る。ゴルフの一面に健康のためという言葉がありますが、その後首の頸椎ヘルニアの発生を考え合わせると健康には悪いかも知れません。
 またゴルフの一面に精神の開放、ストレスの発散という言葉がありますが、一度プレーをすると更なるスイングの悩みを抱えて帰宅する事になり、夜遅くまで営業してる練習場を探すのがひと苦労。
 その日開眼したことを日記につける。来週は閉眼。このくりかえしの旅路の果て60歳となった年にハンディキャップは3となり、65歳の現在は1に到達。
 落語の世界には「名人は上手の坂をかけ登る」ということばがあるそうですが、それと全く反対の自分を見るにつけ何となぐさめようかと言葉を探していたところ、『驥は老いて櫪に伏すも志しは千里に在り烈士は暮年なるも壮心は巳まず』という文章が目に止まる。ゴルフノートに早速記す。節度と勇気ある士は晩年になっても若さあふれる心は衰えない。
 ゴルファーには、会得したノウハウをよく語る人と、あまり話したがらない人がいる。後者の典型は中部銀次郎氏だろう。一度だけプレーを御一緒させて頂いたとき、私は神様に対面したと思い、しつこく、実に、しつこくスイング理論を聞き出そうとした。やっと、でた言葉が「人間年を取ったり、不調になるとボールに近づいてしまう」漠とした言葉だが、今、身にしみている。人は彼の事を名人と呼ぶ。究極の技能の伝達がいかに難しいかをわかっている人は、言葉や数式で伝えることを拒む。
 現代人は、今日あふれている技能の本質もマニュアル化することによって拡大できるものだと錯覚している。
 一方技能と技術の融合の可能性をあきらめない人々が世界には存在する。ドイツのマイスターたちだ。彼等のことを達人という。伝達出来る人という意味をこめたものである。
 開眼した自分の技を来週の自分自身にすら伝達する手段を持たない、かなしいゴルファーにとっては永遠の課題である。

 もしかしたら、永遠に戻れないオルフェの洞窟に入り込んだのかも知れない。
 今、数冊のゴルフノートえを読み返してみると、肉体の部分部分にこだわった編と、武道の呼吸法から、型にこだわっているのが見えてくる。その後、コース設計と戦略を考えるようになるが、脳と身体の関係も頭では理解するものの、自分のどこが退化してるのかを気づかない場合が多い。自分では出来ているつもりの行動がいかに多いことか。1000個あまりの筋肉の一つ一つをプログラミングして命令することは不可能な領域である。
 これを二つまでにしぼるのだが、、、。人間は何かひとつの事だけを考えて、それに夢中になった時は一種の虚脳状態(無心)になれる。ただし、ひとつのヒントだとこの虚脳状態は長続きしない。ゴルフは、長時間考えるひまがあり過ぎるゲームであるため、一つのヒントにこだわる心がうまれると、たちまち、大脳が興奮して制御反応が起こってしまう。来週まで忘れないようにメモしよう、とか、他人におしえて、喜びを共有したい等々。世阿弥の花伝書に就離遊という言葉がある。とことんまで執着しつくした後に、すっと、離れてみる。最後は遊ぶが如くふるまっても、おだやかに達成されるということか?
 まだ自分は離れることすら出来ないでいる。目標や夢は努力すればある程度は手に入れられるが、肉体や気力が落ちるのは底が無い。いつか、落ちて行かざるを得ないのなら少しづつ落ちたいものだと思っている。
 ある日ある時、思い切り、空振りをし、キョトンとした顔つきで「ここはどこ?私は誰?」という自分に出会った時。実は脳の内部に空洞がすこしあり、ほんとうの虚脳状態になる。その時、すべての悩みは解放され、ゴルフが単純化し、更に進化するのではないかと白昼夢を追っている今日この頃です。

『ボビー・ジョーンズ インターナショナルカントリークラブ』バーナード・フュークス作