エジプト旅行記・・・・松田浩成

 1月に古女房と一緒にエジプトツアー旅行に出かけました。1月のエジプトの気候はカイロでは日本の晩秋の様で日中の気温は10℃前後、雨はほとんど降らず大変過ごし易い季節です。朝は早く5時になると「コーラン」の大音声にて眼を覚まされます。特に初日は時差ボケと相まって大迷惑、眠気覚ましにバルコニーに出ると、車道はクラクションの大コーラス、その中を歩行者が軽業師のごとく横断している。危ない、危ない!お陰で眼が覚める。初日はギザの3大ピラミッドとスフインクスの見学、案内人はAMR.MOHAMED.REFAATさん(カイロ大学、文学部 日本学科卒38歳)流暢な日本語だと思ったら日本の松下電工に就職した経歴と奥さんは日本人とのこと、納得。さてこの巨大なピラミッドは何故造られたか、AMRさんの話だといくつかの説があって現在はそれを立証するために各所で遺跡の発掘調査が進められているとの事、王の墓と思い込んでいた私には新たな発見。いかし大きな花崗岩をどこで切り出し、運搬し、積み上げたのか、建築屋の私には大きな疑問が湧く、AMRさん曰く石はアスワン等、上エジプトから船で運ばれ、船着場から現場まで斜路を築き人力で引っ張りあげた説が有力とのこと、それではどれ位の作業員が働き、何年かかって造り、現在ピラミッドを造るとすれば幾ら位の費用が掛かったのか、大林組が過去に打ち出した仮説がある。それによると4,600年前のクフ王の大ピラミッド建設には当時20万人が働き、30年の歳月が掛かったと言われている。それに対して近代建設技術・機械を駆使して同じ場所に造るとするならば、作業員は毎日3,500人が働き、工期の5年、建設費総額は1,250億円かかるとされている。(Web季刊大林より抜粋)もし仮にファラオの墓でないならば、ナイル川の氾濫した時に仕事の出来なくなった農民を集めてピラミッドを造らせ、その代わりに衣食住を保障するひとつの公共事業?であったという説も最近出ている様です。

 私は歌を唄うことが好きで、昔、酒に酔えば童謡・民謡をよく唄ったものです。その一つに「月の砂漠」がありました。「月の砂漠をはるばると・・・」なんともロマンチックな歌詞そしてメロデイー、今回の旅でラクダに乗る企画があると聞き、内心「さぞ優雅な気分に浸れるだろうな」と期待しておりました。ところがです、いざ鞍に跨るまではなんとか出来ました。_まるところが後ろのほうしかないのです。そして急に前足からスタンダップ前に座る女房の腰の辺りを掴まえて転落は免れましたが、思わず「怖い・・・」の言葉、女房に弱みを握られる結果になりました。面白いのは買い物、日本の昔の闇市を連想さす様な商店街で買い物の「駆け引き」が始まります。添乗員の飯塚さんから値切る時は「ハビビ、ハビビ」の言葉が有効だと聞き、訳も分からずにただ「ハビビ、ハビビ」すると相手の親父は照れ笑い、そして半値8掛は当たり前の世界、折り合いがつかない時は帰る振りをすると日本語で「チョット、マッテ」そして20mくらい付いて来る、最後は1/10くらいになる事もあるようだ。以前お世話になったクラブ・ツーリズムの浅村さんに問い合わせたところ直訳すると「可愛い人」との事、道理で照れ笑いした意味が分かりました。最終日はエジプト考古学博物館にてツタンカーメンの黄金マスクを鑑賞、古代のエジプト文明の奥深さ、素晴らしさを改めて知りました。帰りは気流の関係か往きの時間より3時間半も短い11時間半、楽しかったエジプトツアーが終わりました。帰路 高速道路のサービスエリアで食べたウドンの美味しかったこと!私はやはり日本人でした。

ギザの三大ピラミッドをバックに、ラクダに乗った小生と女房

ライトアップされたルクソール神殿