昨年11月に起きた耐震偽装事件の波紋はいまだ収束の気配もなく、「耐震強度」なる言葉も今や流行語の一つになった観があります。私自身も仕事柄「耐震強度」なるものの意味合いを問われるままに説明していますが、「許容応力度等計算で耐震強度が不足しても限界耐力計算法で検証すれば大丈夫の場合がある」との情報は、検証の違いを説明してもなかなか納得しきれないようです。混乱が不信になるのは是非とも避けたいところです。それにしても疑心暗鬼がつのり複数の設計事務所に念には念を入れて確認してもらわないと安心出来ない雰囲気になっているのは異常としかいえません。耐震設計はこの国に建物を作るからには避けてとおれない必須の技術ですが、いまだにいつ、どこに、どれだけの地震が起きるかは予知することは難しく、過去の地震被害の経験から約束事を決めてその枠内で設計しているのが実態です。その意味では自信をもって「大丈夫です」と言い切るのに多少の躊躇があるのはある意味設計者の良心の表われかもしれません。
一昨年10月に発生した新潟県中越地震で、上越新幹線のとき325号が脱線しました。幸い転覆は免れたものの改めて高速鉄道の安全性の危うさに気づかされたものです。雪対策のカバーのため重心が低くなっていたことや線路が直線部分だったこと、軌道が砂利敷きでなくスラブ軌道だった事などが重なった幸運でした。いずれにしても考えたつもりの耐震設計にも必ず思い至らなかった部分があることを改めて気づかされた出来事でした。安全を確保するために地震波の到達時間差を活用しての減速機構を考えるのも一方法かもしれませんが万一の脱線時に備えてのフェイルセーフ機構もまた必要です。この地震のときに印象に残った言葉に「便益性にはリスクがあります」といわれた浜田政則先生の言葉があります。「人間社会で快適性や利便性を求めていけば、その裏には必ずリスクはあるのです」というわけで、建築の世界にもあてはまる言葉だと思っています。より便利で快適な空間を求めていけば、それに伴う地震リスクもまた、高まるのが道理です。私自身も耐震安全性について質問を受けることがありますがこの言葉を引用しつつ、耐震設計にもリスクのあることを忘れないで下さいと話しています。 以前梅村魁先生の「震害に教えられて」という著書の中で、「地震の度にいつも教えられるものがあります。考えたつもりでも人知の及ばない点がいつもでてくるのです」といわれています。自然災害の奥深さから耐震工学は後追いの学問と位置付けられ、「震害から多くの教訓を学べ」と教えておられます。しかし一度だけ後追いでなく先手を打ったと自負されたことがあったそうです。日本の超高層時代の幕開けとなった霞ヶ関三井ビルの耐震設計にかかわれた時、強震記録も蓄積されコンピューターの性能も向上したこともあり、「強震時の建物の挙動を捕まえることが出来た。耐震設計が一歩先んじた」と感激とともに思われたそうです。しかしすぐに自身の思い上がりに気付かれ、いつか必ず反省させられる時がくるはずと謙虚に結ばれておられます。 世の中構造設計そのものが複雑となり、コンピューターへの依存度が高まっています。何かゲーム感覚で部材の置き換えを繰り返しながら<OK>の答えが出れば完了とする風潮が広がっているようで気になっています。解析結果を含む構造計算書は建物を作る上での一つの参考資料に過ぎません。構造躯体を作りこむためのそれ以降の注力が必要です。意図したものが作られるよう現場に足を運ぶ努力を忘れないで欲しいと念じています。「建物は作ったように壊れる」とは和田章先生の言葉です。思いがけない所で壊れないよう安全を守りきる崇高な使命のあることを誇りにして、地道な努力を続けて欲しいと願っています。 現在、国会で耐震偽装問題再発防止に向けた建築関連法制改正案が審議されていますが、その中身を見ると再発防止に向けた取締に重点が置かれ、構造設計者への目配りが欠落しているのは残念なところです。しかし今回の事件を通して「構造設計者はこんなに重要な仕事をしているのだ」と気付いて戴いたのは嬉しいことです。事件を奇貨とすべくあらゆる機会を見つけて理解を求める地道な努力を続けたいと思っています。 |