「世界一周の船旅(2)スエズ運河通過」・・・・ 石福 昭

 スエズ運河は、紅海と地中海を結ぶ171kmの水路で、その起工は1859年、完成は1869年、工事には10年の歳月を費やしたことになります。完成の6年後、エジプト政府の困窮により運河は英国に売却されました。その後、クーデターでエジプト共和国を成立させたナセル大統領が、1965年、スエズ運河の国有化を宣言、第二次中東戦争を経て、その国有化に成功し現在に至っています。
 船がケニアのモンバサを出港したのは、7月9日の深夜、そして、インド洋、紅海を経てスエズ湾に到着したのが9日目の7月18日の早朝でした。久しぶりに眺める陸地は、心安らぐ思いでした。朝霧がたなびき、眠るように静かな湾内には、ペリカンが長閑に飛翔していました。船はこの湾内に停泊し、スエズ運河進入の順番を待ちました。湾内には、我々と同じような順番待ちの大型船が数隻望見されました。
 朝食を済ませ、再びデッキに出ると、船はおもむろにスエズ運河に進入するところでした。午前9時を過ぎ、すでに熱暑は始まっていまいた。スエズ運河といっても、全てが掘削された水路ではありません。まず、ビター湖という大きな湖を通過しました。ビター湖のアフリカ大陸側は、熱帯林に覆われ、ビーチには、水浴客があふれていました。最近、リゾートとして開発されたのだそうです。
 ビター湖を過ぎ、暫く掘削された水路を進み、次に現れたのがティムサーフ湖でした。スエズ運河のほぼ中央に位置する湖です。鬱蒼と茂った熱帯林を眺めながら船は静かに進みました。この風光明媚なティムサーフ湖を過ぎると、風景は突然、茫漠とした砂漠に変わります。この砂漠の中に、掘削された水路が一直線に西に向かって地平線まで続いていました。その先が目的地、ポートサイドです。船の右舷、シナイ半島側は、何もない平坦な砂漠が地平線まで続き、左舷のアフリカ大陸側には、水路沿いに鉄道が施設されています。植林された並木、水田なども散見されました。しかし、時折見かける警備の兵士以外、ほとんど人影はありません。列車も見かけませんでした。運河は静まり返り、熱暑に包まれ、単調な風景が、何時までも何時までも続きました。
 その単調な風景に突然、白色に塗られた近代橋が現れました。スエズ運河橋です。スエズ運河を越え、アフリカ大陸とユーラシア大陸を結ぶ巨大なつり橋で、わが国のODAによって建設されたそうです。この橋にも人影はありませんでした。橋は、いつしか船尾に遠く消え去りました。
 船のデッキには、何処からともなく現れた小蠅が群がり、払っても払ってもまつわり付きました。船は炎天の中を西に向かって終日微速航行し、やがて水路の果てに太陽は没し、水路を赤銅色に、空を茜色に染めました。
 地中海への出口、ポートサイド港の1番ゲートに着岸したのは、その日の深夜12時を過ぎていました。
ポートサイドに向かって
シナイ半島側

アフリカ大陸側