■「建設業再生へのシナリオ」
■著者/米田雅子(正会員・理事)
■出版社/(株)彰国社
■B6版・193頁=1,700円+税

この本を読んで改めて気付かされたことがある。いい過ぎかも知れないが明治維新は革命でなく単なる行政の変革であって、幕閣政治が太政官政治に代わったに過ぎず、殆どの産業がお上の御用達でスタートし連綿と今に続けられてきたという点である。
明治時代、列強に伍して行くために始まった勧業や社会資本増強の官の施策、次第に勢力を増し統帥権を得た昭和軍閥への産業集中、戦後の復興政策の延長線上にある金融界の護送船団施策、ひいてはバブル経済社会の勃興などは、時の政治家と凭れ合った集団支配者としての官(一人ひとりはともかく)の存在が大きな位置を占めてきたともいえる。
その社会構造の可否は兎も角、ついに破綻をきたしたバブル経済下、建設業は従来の馴れ合いや慣行の業態が壁にぶつかり二進も三進もいかなくなり、今後どうやってそれを維持していくのか今は暗中模索の段階であるといえる。
将にその時に「日本古来の情報の隠蔽性とその曖昧さからくる甘えの構造」こそがこの国の建設業のどうしようもない古い体質であるとの指摘を掲げ、従来にない切り口と分析でこの本が登場した。
この甘えの構造は「メッセージを正確に伝達しない」日本古来の曖昧さそのものであるとする社会学者の正村俊之氏の説を、荘園制度から請負制度の中に敷衍しながら公平に分析している。
そして一方で梅棹忠夫氏の「情報生産物を物的生産工程に移すために情報をアレンジする仕事」としての情報編集における創造性を建設業に展開し、21世紀型へと建設業が変わるとすれば、それは曖昧さからくる甘えの構造を、ITを手段とする情報の公開とその編集力で置換し、さらに国内クローズから多国籍オープンへと変わるところにポイントがあるだろうとしている。
隠蔽する前に建設業の情報の中身が余りにもお粗末である、との他からの指摘もあるが、建設業界の一支援者として無様なものを黙って見ていられない著者の明度の高い人間性からくる創見が、卓越したものであるに関わらず平明な口調で語られている。     (太田統士)