「最近読んだ本」・・・・ 今津賀昭


■ 「日本はなぜ敗れるのか」 /著:山本七平

■ 出版社/角川書店

■ 新書判 313 頁= 828円(税込)

 太平洋戦争の末期に、陸軍はガソリンの代替燃料としてアルコールを現地製造するため技術者を必要とした。台東精糖という企業でサトウキビからアルコールを製造する工場長を勤めていた小松真一という人が打診され、せっかく軌道に乗せた工場に強い愛着があるものの、お国のためという使命感で、陸軍専任嘱託という軍人ではない立場で、1944年1月にフィリピンに33歳で赴任する。この年の10月、日本軍はレイテ作戦でマッカーサーが指揮する連合国軍に完敗する。1945年8月15日の無条件降伏後しばらくは、米軍の捕虜となり、その拘留生活の中で日記を綴る。復員にあたって、この日記の持出し許可証を米軍将校から取得するが、さらに用心のために骨壷に隠して持ち帰る。
 1973年に61歳で死亡した翌年に小松夫人が私家本として「虜人日記」の名で発行するが、1975年に筑摩書房版「虜人日記」が発行される。これにめぐり合った山本は、その内容が「現地性」と「同時性」を有していて、当時の日本、日本人、日本文化の問題点を的確に分析したものになっていることに共鳴する。山本も陸軍少尉として、フィリッピンで戦線を戦い、捕虜になった経験を有している。
 「日本はなぜ敗れるのか」(初出:野生時代1975年4月号〜1976年4月号。角川新書2004年3月初版)は、「捕人日記」の中で、太平洋戦争の敗因が21ヶ条として掲げられていたのを、12の章に再編し、先ず「虜人日記」の要所を転記した上で、著者自身の戦争及び抑留体験に照らして、同類の事実を掲げたり、内容の背景を浮き彫りにしたりしている。一方で著者は虜人日記が掲げた敗因21ヶ条が戦後30年を経過した1975年の時点でなお日本社会の随所でそのまま残っていることを、労働組合本部と大本営の類似性などの例を挙げて指摘してゆく。
太平洋戦争は過去の日本人が犯した誤りであったが、いまや立派な民主主義国になったと思っている多くの日本人に警鐘を鳴らす。
 太平洋戦争をテーマにした著作は多い。物量・資源で米国に圧倒的に劣る日本が敗戦したのは仕方がないとした上で、もし同等な資源と兵器を有していたなら、日本は勝利しただろうという無意味な推論もある。
 敗因21ヶ条もその第2条に「物量、物資、資源の総て米国に比べ問題にならなかった」と挙げているが、むしろ第18条「日本文化の確立なき為」、第20条「日本文化に普遍性なき為」という項が気になる。
第11章不合理性と合理性に「米兵と日本兵」という項があり、小松の「日本兵は、教育程度では米兵をはるかに上だが、公衆道徳や教養は米兵の方が高いようだ」という日記の引用がある。大東亜共栄圏という独善の虚構を掲げて一部を除くアジア諸国の反感を買ったのも日本文化の普遍性なき為」であることが理解できる。小松が日記の骨壷に隠して持ち帰ったことについて、捕虜収容所では、敗戦後、米軍から指示を受けた旧軍人の将校格だった日本人が、同胞の日本人を米軍以上に過酷に扱い、戦友の遺品まで強制的に捨てさせるような例があり、そんな「日本人に没収されないように骨壷に隠したのだろう」と山本は推定しているが、権威に弱く、「個人としての修養をしていない事」(第11条)は、今もあまり変わっていないように評者は感じる。日本では評価が得られなかったが、海外で評価されたとたんに、国内の評価が一気に高まるような事例から、「日本文化の確立なき為」に思い当たる。日本が資源のない国であることは、侵略しない限り永遠に改善できないが、日本文化は改善できる。
 本書は、「日本はなぜ敗れたのか」ではなく、「日本はなぜ敗れるのか」であり、著者は将来に向けて本書を著しており、初出から31年を経てなお重要な問題提起をしている。